介護ベッドにまつわること

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最近は、末期ガンの父のもとへ、2日おきに看護師さんが来ている。
わたしは同席しないので、何を話しているのかよく知らないが、一昨日は父が「介護ベッドが欲しい」と言い出したそうだ。
母は、「介護ベッドなんて、まだ先の話じゃないの」と呆れている。

「お父さん、いまからレンタルして、自分が使うまえに、わたしにそこで寝ろっていうのよ。もう! そんなことできるわけないやんか!」
母は、介護ベッドなんて縁起でもない、と思っているのだ。
まあ、誰でもそれはそうか・・・。

「そうやな・・・。いま借りても置くところないしな・・・。でもどっちみち、ママさんのベッドはどうにかせんとあかんな」
「家の横のところに置こうか・・。でも、マットが濡れるしなあ・・・」
「いまのは捨てて、新しいのをまた買えば・・・」
「でも、外側なんかまだ使えるで。もったいないなあ・・・」

なんとなく、父のことを考えているようで考えていない相談であった。
そのうち、ネットを見ながら、こんなベッドがいいわねえと品定めし始めて、まったく不謹慎なのだった。

結局、介護ベッドなんてまだ先の話だよ、ということでいったん散開となった。
しかし今日になってまた、母が「介護ベッドを見に行く」と言うのである。

「介護ベッドで1階で寝るようになったら、うちら、一日中シーンとしてなあかんやろうな」
「それはそうやな・・・。でも本人が、2階に上がったり降りたりするのがしんどいんやったら、仕方ないな」
「そうやなー。全部、本人が決めることやな」

父は、もとから心気症のようなところがあって、少しでも身体に異変があると、「○○かもしれない」と 病院に飛んでいくような人なので、今回はいくぶんオオカミ少年になっていて、しんどい、しんどいと言っても、「またお父さん、気弱なことを言っているわ」と思われている不幸がある。
どうなんだろうな・・・、いま現在、ゲロゲロ吐いてはいるが、一応階段の昇降もできて、話す力もふつうで、着替えなどもできている人が、介護ベッド?
ちょっとやっぱり、オオカミ少年だろうか・・。

そして、母がなんだか疲れているのを、わたしは感じた。
「なんか、不安で仕方ないわー」と言うので、やっぱりこれからの在宅看護に、負担を感じているんだろうな。
もちろん、過去は病院でやっていた看病を、いまは在宅でやるんだから、家族は大変なのは容易に想像できる。
母はおそらくくたびれるだろうし、わたしも無傷じゃないな。
父の最期のために頑張らなきゃとも思うが、あんまり頑張るとこれもよくないだろう。
初めて、在宅で人を看取るという事態に、わたしも自分自身の健康を損なわないように、気をつけなきゃいけないな。

医療従事者への気づかい

tenteki

昨日は、大変だった。
昼前、末期ガンの父が、「お母さん!」と母を呼んだのだ。

「しんどうて、たまらん。救急車呼んでくれ」と言う。
わたしは、すぐに激鬱体験から、どうにもならない苦しさを思い出した。
誰か助けて状態だ。
なんとかしないときっと辛い、と思った瞬間、母が「でも、訪問看護の人かって、いま巡回してるんやから・・・」と困ったように言った。

わたしと父は、「そんなこと、言ってる場合じゃない!」と同時に言った。
母は、病人をそっちのけにして、医療従事者にばかり気を使う。
悪い言い方だけど、外面ばかり気にするのだ。
わたしのH主治医は、いいお母さんだとほめたたえているけれど、わたしはときどき腹が立つときがある。

母が訪問看護に電話しに行っている間、父はわたしに言った。
「お母さんの悪口を言いたくないけど、看護師さんに愛想ばっかり振ってて、そのことだけや」
「そうやねん! あの人、周りに遠慮ばっかしてて、向こうはサービスでやってるってこと、わかってないねん!}

数時間後、看護師さんが来てくれて、とりあえず今日はどうするか、この先どうするかの話をした。
そのときには、父もひと眠りして苦しさがましになっていたので、会話に入ることもできた。
父は、入院する方が安心できると言ったが、看護師さんは「でも、足が弱りますよ」とあまり勧めなかった。

「いま言っていただいたことは、全部、先生に伝えますから」と看護師さんが言うので、わたしが「先生には、いつ?」と尋ねたら、「今日には話ができると思いますよ」と答えてくださった。
すると、また横から母が、「先生もお忙しいから・・・」とへりくだって、要らん配慮をするのである。
看護師さんは、さりげなく「そんなことは、言わなくていいんです」と言った。
まったく、母は父の苦しさがわかっているのだろうか。
どうしようもない苦しみ、助けてくれ状態、先生なんとかして、家族もなんとかしてくれ、という患者の苦しみを前にして、家族が「先生に悪いですねえ」なんてことを言ったら、ほんとうに苦痛がさらに増す。
呑気に、世間体を気にしている母に、あなたは誰の味方なんだと聞きたい。

看護師さんは帰り際、父のいないところで母をさっそく捕まえて言った。
「奥さん、あなたがそんなにオロオロしていたらダメ! いつ吐いたとか介護ベッドがどうのとか、そんなこと言ったら不安ですよ! 覚悟を決めて、ドンと構えないと! これからは、こんなもんじゃないですよ」
「・・・本人は、緩和ケアっていったら、楽になれるもんだと・・・」
「そんなこと! 病気はみんなしんどいんです。もっとひどい方だって、いっぱいいるんですよ」

わたしはそのとき、いまはガンが告知されるようになったが、告知されていないのは、「楽に死ねることはない」という部分だなと思った。
そうかー・・・。父は苦しみたくないの一心だから、「楽に死ねることはないけど、楽になる方法はある。それはどういうことかわかるね?」と、しかるべき時期に、暗に告げた方がいいのかもしれないな。
死ぬまで永遠に続く苦しみという選択肢しかないなんて、辛すぎるよ。
わたしなら、どっちか選べる方が、気分的に楽だと思うね。

まあどうなるかわからないけど、看護師さんによれば、どんなに「畳の上で死ぬ」と言っていても、最後は救急車になる人も結構いるらしい。
それが、人によっていつになるかだね。
うちの父は、そう長く我慢はできないだろうけど、それまでにいろいろあるだろうから、わたしはまだ不満気でわかっていない母を、ちょっと監視する必要があるかもなと思っている。

病人に疲れる。

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昨日は、疲れ果ててしまった。
末期ガンの父が、とても体調が悪く、また看護師さんに来てもらったのだ。

「入院したら、音も聞こえるし大変ですよ」←看護師さん
「はあ・・・、まあ、私の吐いてる音も聞こえて、周りに迷惑かけますしね」←父
「逆に言うと、周りが吐いてる音が聞こえてくるんやで」←わたし

父は、音に敏感でとてもうるさい。
それなのに、病院に入院したいと言う。
安定感があるからだそうだ・・・、確かにそうかもしれないが、痴呆老人は叫んでいるし、各種機器が鳴っているし、騒音が嫌いな人は、1週間もいれば嫌になると思うがな。

看護師さんは、わたしと母だけの場所で、「いまから入院とか言ってたら、ダメですよ」と言った。
わたしが、「本人が入院したいって言ってるんですよ」と説明したら、看護師さんはちょっと意外そうな顔をした。
病院で最期を迎えたい人は、少ないんだろうか。
うちの父は、いまでも病院→ホスピスのルートを辿りたいと言っている。
ホスピスなんて家から遠いし、父の描いているような楽園じゃないと思うんだけどね・・・。
看護師さんも、このことをあまり現実として考えていないようだ。

看護師さんが帰ってから、父はまた盛大に吐き、その後わたしは疲れて、自室でうたた寝をしていた。
すると、いつの間にか、母と父の声が聞こえていて、母が「そんなんやったら、猫が来たときだけふすま開けて、いつもは閉じてたらええやん」と言った。
わたしはうつらうつらしながら、それは、父がわたしの部屋から聞こえてくる音がうるさい、と言ったんだろうなと悟った。
わたしは悪夢を見たような気がした。
うるさいって、わたしは一応、気を使ってたんだけどな。
これでうるさいって言われたら、息もできないよ。

わたしは、そのまま寝続けたが、嫌になったのは、静かにしろと言われたこと自体ではなく、こんな我儘なリクエストを次々と出されたら、そのうちわたしの方から、「もう病院に入れよ」と愛想をつかしそうな気がすることだった。
わたしは、もともと冷酷なのだ。
母の介護のことを考えると憂鬱になるのも、そのせいである。
どこまでも優しく、その人のために、というのは無理なのである。

病人は我儘だって、こういうことだったのか・・・。
わたしは、この数日間、父にも母にも振り回されている感じで、ちょっとしんどくなってきた。
でも、これは前哨戦だって言うんだから、怖いよな。
心身がもつかどうか、いまから考えてぐったりなのである。

体重減少とガチャベルト

gacha_belt

昨日はメルカリで、「ガチャベルト」を探していた。
ガチャベルトとは、ミリタリー発祥のGIベルト・・・ということらしい。
腰からベルトをタラーンと下へ垂らすのだが、数年前から、デイケアのスタッフがこれをしていて、なんだろーと思っていたのだが、オシャレだったのか。

わたしがこれを探している理由は、流行だからというよりも、痩せすぎて、ふつうのベルトだとすごく余ってしまうからである。
だから、どうせなら余ったぶんを垂らしておいて、なおかつそれが、流行になるならいいと思ったのだ。
しかし、探すのだが、どんなものがいいのかよくわからん。
若い人がいいと思っているのが、いいと限らないからなあ・・・。
バックルにおっきなアルファベットが書いてあったりすると、これはダメだろと思う。

カワイイな、と思うものをじーっと見ていて、つくづくわたしは昔と違って、「いいな」と思うだけでは、すぐに手を出してはいけないと思った。
自分の顔と照らし合わせてみろ、ということである。
最近、気をつけなきゃならないのは、服屋で服をあててみて、「おっいいじゃん」と思っても、よく考えたらこれ、自分には若いよね、ということがあることである。
まーあんまり気にしていたら、20年前と同じ服装をしているおばさんになるから、そこそこだけどね。
わたしが恐れているのは、精神病患者によくいる、「妙な恰好の人」になることである。

それで結局、ガチャベルトは、いちばんシンプルな白にすることにした。
まーこんなところでしょ・・・。
それにしても、今年はファッション関係は、ほとんどお金を使っていないなあ。
去年が買い過ぎたというのもあるが、1・2年はそう頑張って買い替えなくても、なんとかなるね。

さて、そんなわたしの体重なのだが、いま42.5kg(162cm)である。
顔もやつれていて、あまり健康的じゃない。
ここ1年で、急激になにかが変わったんだよね。
ビールは飲まなくなるし、将来の不安は出て来くるし、父の容態は悪くなるし。
なんか、生きる意欲を見失った感じかなー・・・。
痩せるっていうのは、ダイエット以外だと、やっぱりこころに何かあるんだろうね。

そんなことで、しばらく、便利のいいガチャベルトたらーんをしています。
でもこれ、痩せている人にはほんとうにいいよね。
ふつうのベルトがでかすぎる、と思っている人は、ほかにもいると思うよ。

みんなのファッション

knitcap

結局、ガチャベルトは、バックルに大きなロゴの入ったものを買った。
やっぱりカワイイと思ったからである・・・。
ガチャベルトはじつは、わたしが高校のときに流行っていたので、ただの白だと、2周目になっちゃうなって考えたんだよね。
だから、ちょっと変わり種を購入したのである。

さて、しばらくぶりのファッション小物で、わたしは気分が晴れた。
女性の特権だろうか。
たった1,000円で、気持ちがウキウキするんだから安いものである。
まったく、早く届かないかなー。

それにしても、女性の特権とはいえ、外を歩いたり同窓会に行くと、ファッションに興味がないとおぼしき中年層も多い。
オシャレして楽しんでいるのって、30代くらいまで?
あとはなんだか、さえないなー。
わたしは小さいころから、「おばさん」が大嫌いで、「おばさん」を通り越して「おばあさん」になろうと決めていたので、「おばさんだから」などとヘンな謙遜をして、ドンと開き直るつもりはない。
もっとも、わたしの同級生たちは、もともとファッションに興味がなかったりするけどね。
だけど、全員がそういう人っていうわけじゃないよね。

ところでわたしは、同時に「おじさん」が嫌いだったりもする。
わたしが小さい頃の「おじさん」は、休みの日はいつもゴルフウェアを着ている人である。
なんでなのかと最近考えたら、つまりほかの私服がなかったんだろうね?
最近のおじさんは、ふつうに私服を持っているから、昔よりはましだけど、なんかみんな同じファッションでは? と思うことはある。
数年前に流行った、赤と紺のボーダーのシャツなんて、あっちもこっちもって感じだったし、皮のたすき掛けバッグなんて、みーんな持っているみたいな。
やっぱり、男性は女性より、ファッションに興味がない人が多いのかねえ。

もう一つ、大嫌いなのは、一部の制服姿の女子である。
ぶっとい足を大胆に広げて、電車の席に座っているのだが、醜いの一言である。
あまりの醜悪さに、わたしはスカートの中を覗いてみたりするが、案外、これが見えないのは、太ももが太すぎるからかもしれない。
密かに「ブタ・・・」とか思っているんだよね。
中年女は、イジワルだぞー。

こんなことをつぶやいているわたしは、どんだけファッションセンスがいいのかというと、全然そういうことではなくて、ただ単にわたしは、世間のファッションは自分の反面教師だと思っているから、ダメだなと思うところは、自分も間違いを犯さないように考えているんだよね。
もしかすると、一種の恐怖症かもしれないね。
あんまり、神経質にならない方がいいんだろうなと思うけど。

親戚と妹がやってくる。

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看護師さんから、父のことを「会わせたい人がいたら、いまのうちに会わせてあげた方がいいですよ」と言われている。
母はそれを受けて、昨日、父の兄弟のところへ電話をかけた。
それで、3人が今週、大分から来るらしい。

「大分から来て、とんぼ帰りって大変やね」とわたしが言うと、母は「お茶菓子って、なにを出したらいいのかな。おかきとか?」と、また人に遠慮ばかりして、本質を忘れているのだった。
「おかきって!? 饅頭とかやろ!」
「ああ、饅頭なの。それをこうやって、(山盛りに)置いたらいいの?」
「そんな失礼な! 饅頭は、お茶の横に一つ置くもんやろ!」
「あら、そうなの」
「湯呑はあるの?」
「それはあるよ。下に敷くやつもある」

この人は、彼女が悪いんじゃないだろうけど、人のおもてなし方を知らない。
おかきを中心に置いて、遠方から来た親戚に、ポリポリ食べさせるなんて、主婦の井戸端会議じゃないんだから・・・。
まえに、妹夫婦を呼んだときも、寿司桶8貫と生サラダを出したのを見て、わたしはちょっと恥ずかしく思った。
量の少なさもそうだし、生サラダを出すくらいなら、手作りの煮物の方がいいのに・・・。
そういう常識とセンスが、この分野においてはまるでないんだよね。

さて、親戚についてはそんな感じなのだが、あと、妹も今週中に呼ぶことになった。
この人は、10日(金)を指定してきた。
金曜日ね・・・。あんまり緊急性を感じていないな。
旦那の休みが土曜日だから、金曜日にしよーって感じだな。
こういうことは、一緒に住んでいる人間しかわからないから、仕方ないんだけど、このぶんだと亡くなったあとでも、母とわたしが看護していた様子を想像なんてしないだろうな。

母の話では、彼女はいまだにわたしを軽蔑していて、和解する気など一切ないらしい。
わたしも、双極性障害同士は無理なので、進んで仲良くなりたいとは思っていない。
でも、母に「あいつは、上から目線でわたしを見て、まったく不愉快だ」という話をしたら、困った顔をしていた。
向こうも、似たようなことを言っているんだろうな。
この、きょうだいの和解が、父が死ぬまでに実現できなかったのが、いちばんの親不孝だろうな。

母とは、父はいつまでもつのか、という話をときどきしている。
「11月中かな・・・」という感じを、二人とも持っている。
いまのところ、父がいちばん恐れていた痛みや苦しさは、そんなにないみたいなので、あとは恐怖感を和らげるなどのケアかなと思っている。
でもそれってべつに、ふつうに生活しているっていうだけなんだけどね。
自分のために家族がバタバタすると、なんか孤独になっちゃう感じだもんね。

死期の抗争

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ますます、父の容態が悪くなり、ついに自力で歩けなくなってしまった。
わたしは、夜中と朝方に2回起こされて、トイレに一緒に行った。
父は自ら、これから一階に住むことに決めた。

ここにきて問題は、母なのである。
母は、看護師さんから「奥さんがこんなにオロオロしてたら、ご本人さん不安ですよ」と言われているのに、そのオロオロに拍車がかかっているのだ。

昨日、彼女は「お父さん、あれだけ食べてないから、餓死するんじゃないかと思って、病院に電話をかけてん」と言った。
「なんて聞いたん?」
「栄養を入れられないのかって・・・、胸になんとかポートっていうのをつけたたから、あれは使えないんですかって」
「じゃあ、なんて?」
「先生に訊いてみますって。看護師さん、もうやる気ないんやで。わたしらを見放してるんやわ」
「いやそれは、質問を二つにするからやろ。栄養を入れられないんですか、の一つでええやん。ポートの話なんか、素人が決めることじゃないやろ」
「だって、栄養を入れるときのために、ポートを作るって言うたのに、全然使ってないやないの!」
「いまは使う時期じゃないってことやろ?」

そのうち、二人の雰囲気がだんだん悪くなってきた。
母にとっては、「奥さん、大変ですが、頑張っていきましょうね」とか、優しく背中を叩いてくれたりするのが、よいドクター・看護師なのだ。
たぶん、この人は名医でも無愛想なら、「あの先生はダメ」ってなるんだろうな。
医療従事者に限らず、母はいい人・悪い人の判別が単純で、つまり優しいかどうかだけなのである。

「お父さんも、餓死するんちゃうかって言うてんねんで!」と母が鬼の形相で言うので、わたしはふと思い出したことを口にした。
「栄養を入れたら、2週間で血管ボロボロになるらしいで」
「えっ」
ちょっとデタラメが入っているかもしれないが、どっかで読んだことである。
とにかく、わたしの考えでは、「いまから栄養を入れてください」とか、患者側が医療サイドに指示するものではないのだ。

しかし母は性懲りもなく、今度は父に向かって、「こんなに食べなかったら、餓死する」とか「脱水症状を起こす」とか、断定形で父を脅かしていた。
父は苦笑いしながら、「いや、それは・・・」と小さく言った。
彼女はたぶん、自分が不安なのを、病人本人に押しつけたいんだろうな。
わたしはもう、この爆走している母親をなんとかして、という思いと、いやここでくじけたら父が可哀想、という思いで、クタクタになってきた。

ほかにも母は、あろうことか、父に対して、ドクター・看護師さんへの不満をぶつけていた。
患者にとってすがるものは、信頼できる医療と家族しかないのに・・・。
自分の勝手な考えや感情で、チームワークを乱している母親が疎ましい。
わたしは、じっと寝ている父が不憫で仕方ないよ。

母の暴走

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母の暴走が止まらない。
彼女はもう完全に、父の医療チームに不信感を持っていて、わたしが何を話して聞かせても、まったく耳を傾けないばかりか、わたしにまで不審の目を向けている。

「あんたは、(看護師さんを)プロフェッショナルなんていうけど」と、わたしが騙されていると決めつけて言う。
「あの人ら、うちらに何にも教えてくれへんやないの」
「あのなー、町医者とちゃうねんで。看護師さん、全部こちらにまかせてくださいって言うてはったやんか。わからんところは自分から聞いたらええやろ」
「あの人ら、絶対いい加減にやってるわ。カンファレンス(仕事のすり合わせ)も、してないんちゃうか」

これにはわたしも、昔そういう仕事をしていたこともあって、頭にきた。
「あんたな! プロの仕事なめてんのか! カンファレンスせえへん病院なんかないで!!」
カンファレンスをしないで帰るということは、レジをそのままにして帰るスーパーのようなもんである。
それでも母は、この子の言うことなんか・・・、という表情で、目をそらして拗ねていた。
じゃあ、彼女はどうしたいのだろう。
いまさら病院は変えられないし、変えるなんておかしいと父を説得したのは、彼女自身なのだ。

さらに母には困ったことが起きていて、わたしはいま、父のために、この人が言うことなすことの、尻拭いをしている。
看護師さんに、「よそのお宅は、もっとひどいところもありますよ」と言われたことを、どういうつもりか父に話してしまい、急いでわたしは、「それは、よそはもっとひどいところもあるけど、ここは大丈夫だから、奥さんオロオロしないでくださいっていう意味やろ?」とフォローした。
父にそんなひどい症状の人のことを言ったら、「これから俺は、そんなひどくなるのか」と、恐怖でいっぱいになるに違いないのに。
もともと想像力がなくて、思考が地面を這っている母だが、こんなときにやめてくれと思う。

また先日、あまりに「このままでは餓死する」と、父を不安がらせていたので、誤解を解こうと思って、わたしが看護師さんに、「ガンで餓死する人っているんですか?」と訊いたら、やっぱりって感じで、看護師さんは「餓死じゃないですよ」といろいろ説明してくれた。
それを聞いて、母は安心していたが、なんでそういう話を看護師さんにしないで、父にダイレクトに持っていくのか。
わたしが母に、「わからないことがあったら、文句を言うんじゃなくて、看護師さんに聞け」というのは、そこなのである。

夜になり、父が寝てしまったあとで、母が鎮痛な面もちで「苦しそうで、見るに堪えないわ・・・」と嘆くので、わたしは「見るに堪えないレベルの苦しさって、こんなもんじゃないやろ」と言った。
「じゃあ、どんななのよ」
「先生! こんなに苦しんでいるのに、なんとかしてもらえないんですか! のレベルやろ?」
そう言ったら、彼女は黙り込んでしまった。
でもわたしは、故友人が、意識はないけど、身体だけは派手に苦しんでいるのを見たから、こんな吐き気とふらつきくらいで、見るに堪えないなんて言っていたら、先がもたないだろうと思う。

とまあこんな感じで、母はいま、自分の不安を、あたり構わずまき散らしているわけなのだ。
いちばんよくないのは、病人本人にまで、不安を訴えていることだよ。
「緩和ケアって、どういうものだかわかってる?」と、母には一度訊かなきゃならないな。
オロオロして、「ああ、お父さん、苦しそう」なんて言っているだけじゃダメだと思うんだけどね。

親戚の来訪

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今日、末期ガンの父を訪ねて、大分から父の兄弟が2人、大阪まで来ることになった。
高齢の身なのに、はるばる3時間かけて、滞在時間は1・2時間というハードな行程である。

わたしと母は、「ほんとに悪いなあ」と話をしていた。
そのなかで、わたしは「お土産、あげたら?」と言った。
「お土産なあ。いいかもわからんなあ」
「おかきとか、とにかく軽いやつ」
「買いに行ってこようか・・・」

母はそう言って、父をわたしにまかせて、駅前のスーパーへ行った。
わたしは、父の兄弟が無理しているんじゃないかと思ったが、そうではなく、自ら会いに行きたい、父も会いたいと、双方両想いだそうなので、今生の別れということでいいんだなと納得した。

父の容態が悪くなるにつれ、パニクっていた母だが、一昨日の説得の末、ちょっと落ち着きを取り戻したようだった。
「今日の看護師さん、テキパキしてて、いろいろ話してくれて、よかったわ」と言うので、「そういう話しやすい看護師さんのときに、まとめてわからんこと聞いたらいいやん」と言った。
母は「そうやな」と言って、今度は「看護師さんはうちらを見放してる」と非難しなかった。
ちょっとは、わたしの発言も功を奏しているかな・・・。

ところでわたしは、客人に対して、いろいろ話をしなければならないかもしれないな。
病状なんかに関しては、母にまかせると、「あ・・・、えと・・・」で全然進まないので、わたしがやった方がいいのかな。
でも、向こうも高齢なんだし、あんまりペラペラ調子に乗ってもよくないか。
ちょこんと、母の横に座っているのが無難かな。

父の兄弟が終わったら、明日は妹の登場である。
次々と肉親が現われて、父もいよいよかと思っているかもしれない。
まだ、急に亡くなったりしそうな感じはしないけどね。
父としては、会いたい人に会えるのと、だからこそ、もう終わりなんだという気持ちと、心境は複雑かもしれない。

返す返すも、いちばん側にいる肉親が、不安な気持ちを支えてあげないといけないな。
わたしの役割は、母が、医療への疑心暗鬼に陥らないよう、軌道修正することかな。

兄弟との会話

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昨日は、父の兄弟2人が、はるばる大分から大阪まで、末期ガンの父のお見舞いに来てくださった。
父と、父の兄弟たちは、顔が激似である。
わたしは、2人の顔を見比べて、ブルブルと吹き出しそうになっていた。
ヤバイ、こんなことでは、葬式はどうなるんだ・・・。

ともかく、ご兄弟たちは、故郷の写真やお土産を持ってきてくださって、父もずいぶん楽しく話をしたようだった。
彼は、故郷の話をするときが、いちばん生き生きとするのだ。
引退後は、大分に帰りたいと言っていたのに、母が「田舎暮らしなんかできない」と言って、はねのけたんだよな。
それはそれで、仕方ない。

わたしは、自分の親戚のことは、ほとんどわからないので、お茶を飲みながら、適当に話を聞いていた。
母によると、長男の人は、超のんびり屋で、この日来たときも、でっかいリュックをバスに忘れて降りたという。
「どこのホテルに泊まるんですか?」と母が尋ると、でっかいリュックの中をガサゴソして、「ちゃんと出てくるように、分けたんじゃけんなー」と言いながら、ついに何も出てこなかった。
田舎の人だからのんびりしているのではなく、こういう性格の人らしい。

彼らは、2時間ほど、父と話したりお茶を飲んだあと、我が家をあとにした。
帰るとき、わたしはどっちかの兄弟(顔の区別がつかない)に、「たまには、田舎に帰ってき」と言われた。
あ、そうか、わたしも親戚なんだと、そのとき思った。
自分一人だと思っていたけれど、この世に血の繋がった人がいるんだな。・・・

2人がお帰りになったあと、父の部屋に行ったら、父はニコニコと「チケット、売れたか?」と言った。
「コンサートのチケット? あれなあ、売れへんわ! だいぶ安くしたんやけどな」
「あはは、そうか」
そんなことを話している間も、父は終始、上機嫌だった。
やっぱり、外から懐かしい人が来るって、いちばんの闘病の手助けになるかもしれない。

ということで、今日はわたしの妹が、父のもとへ来る。
妹とわたしは、犬猿の仲なので、わたしは自分のマンションに行かなければならない。
これが、父と妹の最後になるのかな・・・。
何気なく、わたしが、「嫁は、早く家に帰らんとあかんけど、旦那はそうでもないよね」と言ったら、母は激怒して「○○さん(旦那)は仕事やねんで! あんたはいっつも、偉そうにものを言う!」と顔を歪めた。
え? 一般論なのに??
この人は、想像力ってものがなくて、人がどういうつもりで話したか、自分流の解釈しかできないんだよね。
よしんば、わたしに間違いがあるとしても、怒らなくていいと思うのに・・・。

わたしと母のことは、どうにも埋められない溝があるので、今後あたまが痛い。
もともと、そういう性格の違いがあったんだよね。
とにかく、父が生きているうちは、ある程度忍耐が必要になるだろうな。

ドクターの見立て


昨日は、診察日だった。
父の看護で疲れていたわたしは、H主治医にその日常を伝えた。

「もう、親戚を呼ぶように言われてるんです」
「ふーん。そしたら、年越せるかどうかやな」
「昨日は、新聞読んでました」
「え」
「母は、看護師さんに『そんなにオロオロしてたら、旦那さんが不安になります』って言われてるのに、『看護師さんはわたしらを見捨ててる』とか言って、医療サイドを信頼してないんです。それをわたしがフォローしたり、それから、そのことを父に言うので、それもまたフォローしたり、疲れるんです」
「ふーむ」
「病気がいま、調子がいいからよかったですけど、悪かったら最悪ですよ」
「そうやなあ」

H先生は、ほかにも、ふーんとひと通り聞いた後で、「まあ、母親を娘がフォローしてるということやな」と言って、カルテにポンと判子を押した。
そのときわたしは、急いで言った。
「あの、もしものために、薬を1ヶ月ぶんもらえませんか」
すると先生は、半笑いで「あかんあかん」と言った。
「え? でも急変したら」
「急変はしません!」
そしてニッコリと、「もしものことがあったら、⚪⚪さん(わたし)の家まで、サービスで届けますよ」と言った。
「えっ、そんなサービスあるんですか」(←バカ)
「⚪⚪さん(わたし)のためなら、やりますよ」
そして先生は、今度は大輪の笑みを浮かべたので、わたしはようやく、父がまだ死ぬような状態ではないことを悟った。
言われてみればそうか・・・。
瀕死の病人が、新聞なんか読むわけないよな。

改めて思ったが、わたしも母と同じく、頭がヒートアップしているのかもしれないな。
正常な判断ができないって、今後のためにまずいよね。
たぶん、これはほんとうに、素人判断しないで、全部プロである看護師さんに、任せた方がいいんだろう。
家族は、余計な心配をする役割じゃないよね。

双極性障害の軽率さ

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一昨日は、父のお見舞いに妹が来るというので、妹と犬猿の仲のわたしは、自分のマンションに行っていた。
そして昨日、実家に帰ってきて、とんでもないことを聞いたのである。

「ゆきさん(妹)、ほとんどお父さんと話してないねん」
「えっ、なんで??」
「お父さんが眠ってたこともあるけどな、あの子、ずっとスマホ見てたから」

スマホ?!?
父親が生死をさまよっているときに、自分は話しかけもせずにスマホ?!?
なんだそれ・・・。
事の重大さがわかっていない。
これは、知らずに一生後悔するようなことをするという、双極性障害の症状?!

「それでな、わたしがなんか言うたら、すぐ怒るねん」
「・・・躁やな」
「なんか、雰囲気、違ってたわ。このまえ来たときはよかったのに」

まったく、双極性障害というやつは、その人の人格がころころ変わったかのように見えるから、難儀だ。
本人は、気づいていないことが多いんだけど・・・。
わたしが言うところの、「双極性障害の解脱」をしない限り、この改善はみられないと思う。
つまり、自分は人から気分屋に見られるから、急に腹が立ったときも、浮かれているときも、感情をあらわにするな、ということである。

「ゆきさんは、まだ、自分がキチガイになったって気づいてないのかな?」
「キチガイなんて」
「でも、昔の座敷牢にいる人って、双極性障害やろ。大声で暴れてたと思ったら、今度は廃人になって。まったく、わたしとおんなじやん」
母は、黙り込んでしまった。
症状がひどかった頃、わたしは家の中で、暴言・破壊の限りを尽くしたので、家族としては、狂人と一緒に座敷牢にいるような形になり、ひとときも気が休まらない日々を過ごすことになったのだった。
昔と同じく、現代でも、こういう事実は家族が隠すから、世間にあまり知られていない。
わたしは、双極性障害は、古くから言われている「狂人」だと思っているから、薬と自分のコントロールが、自分には大事だと思っている。

それにしても、同じ双極性障害の患者でも、妹には腹が立つわ。
軽薄人間になるのも躁の特徴だが、死の病床にある父を放っておいて、スマホを見ているって、いかにも躁エピソードで軽蔑に値する。
どこかにも書いてあったけど、こうした双極性障害の患者の軽薄な言動は、許さなくていいと思う。
どうせ、一緒にいたって、繰り返し腹が立つだけなんだから。
自分の病気は、人の目を疑わせるんだってことに気づいていない、初・中期の双極性障害の患者は、もう放っておいていいとわたしは思う。

そういうわけで、誰もが呆れる軽薄人間の妹を、わたしは咎めるのではなく、どこまでも無視である。
そのまま放置していても、やがて、躁の患者はテンションが落ちてきて、自分がしてしまったことの重大さに気づく。
そしで、一生大事なものを失い続ける。
たぶん、彼女もそうなるんじゃないかなと思うけど、この病気を持ってしまった人の宿命なんだよね。
だからといって同情なんかしても、患者本人が気づかない限り、どうしようもないんだよね。

やり過ぎ介護

taolu

昨日の朝は、7時に叩き起こされた。
「お父さんが、トイレやって。手伝って!」
わたしは、半分目を閉じた状態で、とにかく父の部屋へ行った。

そこには、いまにも父を抱えようとしている母がいた。
二人がかりで、父の両脇を支えようというのか・・・。
わたしは、「ちゃう。それは、腰を持つねん」と言って、パジャマの腰の部分を掴み、父の片手を握ってトイレへ連れて行った。
これが、ふつうの介助の仕方である。

「あら・・・。力、要らんねんなあ?」
「要らん」
「ゆきさん(妹)は昨日、両脇を抱えて連れて行ったんやで」
「・・・・・・(首フルフル)」

父はベッドに戻ってから、安心したように「ありがと」と言った。
父はもう、自力で立ち上がりも歩行もできない。
だから、トイレの問題は切実なのである。
よく言われるように、トイレは最後まで自立するのが、本人の尊厳を守るためにも望ましい。

今日は、父はなんだか具合がよくて、「牛乳持ってきて」「みかん食べる」などと、積極的な動きが見られたが、そのとき、体勢を何回か変えなければならなくて、どうも不自由そうだったので、わたしはベッドの柵に、タオルを縛りつけた。
これも常套手段だが、このタオルを掴んで引っ張ることで、起き上がれない人が起き上がれるようになるのである。
父も、「ああ、それな」と言って、その取っ手をつくると「うん、大丈夫や」と引っ張って確認した。
わたしは、少しでも父が、自分でやれることが増えていくようにしなければな、と思った。

しかし、母は逆なのである。
全部、患者ができないことは、自分がしなければならないと思っている。
これには父も、「お母さん、バタバタしてうるさい」と言っている。
病人が頼みもしないのに、「これしようか?」「あれはどうや?」とたびたび覗くので、たぶんプライバシーの上でも、落ち着かない状態になっているんだと思う。

母は父がガンだと知ったとき、わたしに「介護なんか、簡単なもんやないねんで! シモの世話もせなあかんし、ほんまに大変なんやから!!」と、わたしを脅したのだが、それは、こんなふうに身のお世話をして、父の身体を両脇で支えるという前提だったのだろうか。
それで、自分の介護のことも、わたしに「あんたに介護なんかできへんわ!」って言ってたのかな?
わたしが、理学療法士の学校に行っていたことを忘れていたのか。
母はなんだか、どこからか聞いてきた話か、古い話をしているような感じがするな。
介護については、あんまり鵜呑みにしない方がいいかもしれないな。

そういうことで、母のやり過ぎ行動にうんざりしている父を、少しでも守ってあげなければと思うのである。
といっても、父も母に怒っているようなので、母がそれをわたしに愚痴ってきたときに戒めているだけだけど。
こういうのは、動けなくなっている患者だからこそ、その人の意思を尊重しないとね。
なぜ本人が怒っているのか、患者本人の身になって考えてみることが、大事だと思うんだよね。

病人のトイレの問題

shou_kurimu

末期ガンの父の具合が、急激に悪くなった。
なんか、日に日にっていう感じだ・・・。
昨日は、午前中は気分がよさそうで、「買い物に行くけど、なにか買ってこようか?」と訊いたら、「シュークリーム」と笑って答えていた。
それなのに、今日は、トイレに行く途中で、気絶してしまった。
えっ、気絶なんて、そんなケース聞いてない・・・。

仕方ないので、破れたおむつの代わりに、母と二人でスウェットを履かせ、気がついたところで、トイレまで誘導した。
なんだか父は、始終、ぼーっとしていた。
もしかしたら、今朝、布団の上で粗相をしてしまったのが、原因かもしれない。
正確にいうと、粗相ではなく、尿瓶のなかに尿を入れ損なったのだが。

「俺はもう、寝たきりや」と、父はトイレのあとで弱々しく言った。
「電動ベッドの背中を上げれば、いけるやろ。今度試してみ」
「自分で歩ける、松葉づえとかないんか」
「松葉は、一時的なケガの人が使うもんやねん。それに、気絶することがあったら、一人やったら危ないやろ」

自力でトイレに行きたいのはわかるけど、いまの状態じゃ無茶だよ。
それでも、やっぱり行きたいんだろうな。
わたしは、一応「今日は、市役所から介護認定の人が来るから、その人に自助具について尋ねてみよう」ということで、話を落ち着かせた。

父は昨日も、大好きな相撲も見ずに、夕方ずっと、眠りに眠っていた。
母とわたしは、「点滴に、睡眠薬が入ってるんとちゃうか」と話し合った。
「こうやって、少しずつ寝てる時間を増やしていって、楽にするのかもな」
「そうかもな」

わたしは、父が苦しまずに死ねるならそれでいいと言っていたので、希望どおりになりそうで、よかったと思っている。
父は、落ちていく自分の機能に、苛立たしさを覚えているようだが、これを鎮めるのは家族の役割かな。
母は、最初から「え? そんなこと」と、否定にかかることが多いのだが、わたしはそれでは先のない病人は報われないので、本人が納得するよう説明するとか、ほかの方法を考えるとか、一応手は尽くした方がいいと思っている。

しかし、トイレで失敗すると、ガックリくるって、ほんとうだな・・・。
張っていた精神が、急激に緩んでしまうのかな。
でも、この段階でもうダメだ、なんて諦めるのは、まだ早すぎると思うんだよね。
わたしは、このパソコンの椅子を見て、「これに掴まって、ゴロゴロ移動できないかな」なんて考えている。
とにかく、身の回りにあるものを使って工夫する、というのが、介護のセオリーだよね。
その代わり、わたしはパソコンを床に置いて、やんなきゃいけなくなるけど。

自分勝手な介護

ice_cream

昨日は、ぐったり疲れて、昼アイスクリームを食べたあと、ウトウトと昼寝をしてしまった。
間食も昼寝も、ふだんのわたしはしないものである。

父の看病で、疲れているのかなあと思う。
そりゃ、そうだよな・・・、階段を上がったり降りたり、母の言われるままに行動していたら。
でも、この数日間、とくに疲れさせられるのは、母の過剰な使命感である。

訪問看護チームにも不信感を持っていた彼女だから、わたしなんかに信頼を置いているわけがない。
昨日は、「お父さんはもう、トイレに行くのは無理。ポータブルトイレが隣にあったから、持ってきた」と言って、昔、曾祖母が使っていたものを運んできた。
自分自身が、「ポータブルトイレなんか嫌」と言っていたくせに、どうした風の吹き回しだろう。
そのことをちょっと振ってみたら、「わたし、そんなこと言ってないわ!」と逆上しそうになったので、慌てて引っ込めた。
なんで自分が言ったことを、こんなに綺麗に忘れるんだろう。

それとやはり、ポータブルトイレやおむつっていうのは、最後の手段にした方がいいと思うんだよね。
父には、まだはっきりとした意識がある。
この段階でソレっていうのは、早すぎるんじゃないだろうか。
歩行介助なら、言ってくれたらわたしがやるのに・・・。
母はなんだか、父の世話がしたくてしたくてたまらないように見受けられる。
もとからあるんだよね。家族を自分に引き寄せて、あれこれ世話を焼きたがる癖。
わたしは、依存に近いんじゃないかと思っている。

今朝、父が「俺はもう、立ち上がることもできない」と悲観していたので、「できるよ」と言って、介助して立ち上がってもらった。
全然力を込めていないし、ほとんど自力で立ち上がっている。
トイレに行けないなんてことはないのに・・・。
勝手に判断して、いそいそとポータブルトイレを用意している母が、疎ましい。

トイレのこと以外でも不気味な行動があって、わたしがベッドの柵に結びつけておいたタオル(起き上がるときに使う)が、べつのタオルに変わっていた。
あんなの、汚れるわけじゃないし、なんで替える理由があったんだろう??
わたしはそれを見て、「あの子じゃダメなの、わたしでなきゃ!」という強いメッセージが込められているような気がした。
なんか、怖い・・・。
これって、イジワルな姑がしそうなことだよね。

わたしは、父を気の毒に思いながら、どんどん介護が母の領域になっていく現状に、疲れてきた。
もう、なんでもいっか、という気持ちである。
一人がスタンドプレーをすると、チーム全体の和が乱れる。
訪問看護の人たちも、わたし同様、言いたいことがあるんじゃないのかな。

サイコパス介護

omutsu

末期ガンの父の看病で、また母の行動にうんざりしてきた。
これは引くに引けない、トイレ問題である。

ヨボヨボの重病人だって、トイレは自分で行きたいという欲求があるはずだ。
そこは、絶対尊重しなければならない。
しかし、母は違う。
「自分が介護したい」という、おかしな理由で、父をおむつ状態にしようとしたのだ。

昨夜、母が、「お父さん、ポータブルトイレもあかんかったわ」と言うので、それに乗ることさえできないの? とわたしは思った。
「だから、おむつの中でしてもらおうと思って」
「え? それはあかんやろ」
「でも、お父さんがそれでいいって」

ついこの前まで、歩行介助つきでトイレに行っていたのに、おむつでいいって??
わたしは、ヘンだなと思った。
もしかしたら、母は「お父さん、もうその状態やったら、おむつしかないわ」とか何とか言って、本人に諦めさせたんじゃないだろうか。

果たして今朝、わたしが父の身の回りをあれこれしていたら、父がトイレについて、「ゆみ、(歩行介助)頼むわ」と言い出した。
「うん、いいよ。いま? あとで呼ぶ?」
すると、父は黙ってうなずいた。
わたしの心には、ちょっとした怒りが湧いてきた。

母は、なにを言っているんだ。
父は、おむつの中で用を足すなんて、全然納得していない。
昨夜の、「ポータブルトイレがあかんかった」というのは、できないんじゃなくて、本人が同意しなかったという意味か。
ポータブルトイレが嫌な人が、おむつを受け入れるわけがない。
「どうせ、食べてないから、そんなに出ないから」というのが、母の主張だったが、じゃああなた、やってみたらどうですかという腹立たしさが沸き起こってきた。

さて問題は、明日なのである。
明日は、前回を反省したのか、躁状態の妹がやって来る。
この人は、まえに来たとき、父の両脇を一人で抱えてトイレまで行くという、ウルトラCをやった人なので、病人にとっては辛いかもしれない。
母が、「お父さんはもう、おむつの中じゃないとできへんねん」とか、「あんたには歩行介助は無理やわ」とか、独自の考えを吹き込まないといいけど・・・。
わたしは不在なので、事がどう進展するかわからない。
あわよくば、父がおむつを拒否してくれて、妹が「いつもはどうしてるん?」という流れになればいいけど。
母のサイコパス介護から、父を守らなければ。

母との衝突


末期ガンの父の看病のことで対立していたわたしと母は、昨日ついに大喧嘩となり、わたしは一時的に、マンションへ避難した。

内容は、昨日の続きで、父のトイレ問題をどうするかである。
わたしは、歩行介助でトイレまで行けるとみているが、まったく素人の母にとっては、フラフラで危なすぎるというわけである。
しかし母は知らないが、歩行というものは、脳卒中の患者さんのように、反射が失われていると危ないが、そうでなければ、多少フラフラしていても、案外歩けるものなのである。

父がわたしに、トイレに連れて行ってくれと言っているのに、母はおむつを強要して、「ずっと見てるのはわたしやねんから、わたしが一番よく知ってる」と言い張るので、わたしは、「あんたは介護してる自分に、自己満足してるだけや」と言い返した。
「代理ミュウハウゼン症候群っていうのがあるねん。患者は、たとえば飼い犬の足を折って、必死に看病して、なんて優しい子なんでしょう、って言われるのに快感を覚えて、また足を折るねん」

そこまで言うと、母は烈火のごとく怒り出した。
「わたしが虐待するの?! わたしが!!」
そう言ったあと、怪獣みたいな声で叫びながら、ティッシュだの何だの、あたり構わず、わたしに投げつけてきた。
「あんたも暴れてるとき、こうやったんやからな!」という免罪符を叩きつけたあと、恐ろしい呪いの言葉を吐いた。
「あんたなんか、IQ、IQってそんな自慢しかできへんくせに!」

その言葉に、度肝を抜かれた。
なぜならば、ネットのIQテストをやった話は、ちょっと前に3/4くらい言いかけただけなのだ。
なぜそんなことを、ピンポイントで覚えていて、言い争いの材料にするのだろう??
それに、そんな自慢しかできないって、それはひどい。
わたしは、たくさん話したいのに、母とは価値観が違い過ぎるから、いつも黙って我慢して、母の言うことをフーンフーンと聞いているのだ。

なんだかこの人と、信頼関係は築けそうにないなーと思った。
とりあえずこんな状態では、お互いストレスが溜まるし、父の前で悪いと思い、わたしはちょっと出て行くと言って、父のところへ行った。
そして父に、「じつは、母親と喧嘩して、出ていけっていうから、数日間出ていくわ。明日は妹が来るから」と伝えた。
父は心得たように、ああと言い、わたしが敬礼すると彼も敬礼した。
お互い母親というのは、ああいう人間なのだと共通意識があるのだ。

自分のマンションへ入り、わたしは疲れた身体を、椅子に沈めた。
父が亡くなったら、もうこっちに移ろうか。
猫と別れるのは、とても寂しいけれど・・・。
あの母親と、一緒にやっていける自信がない。
経済的に辛いものがあるけど、作業所Aで頑張って働くしかないか。
とにかく、大きなことを決定するときは、慌ててはいけない。
でも、このことはちょっと、視野に入れて、今後母の出方を見たいと思う。

それにしても、なんだか父の行く末を思うと、胸が痛い。
実は他にもあって、父は自分が摘んだ花のドライフラワーを飾っていたのだが、そういうものも、母は全部捨ててしまったらしい。
わたしが、ベッドに付けたタオルも、なぜ変えたのかを尋ねると、「あんたもお父さんも、同じようなこと言うわ。なんで変えたとか、なんで捨てたとか。自分が摘んだ花やからって、汚いものをなんなのよ」と忌々しそうに吐き捨てた。
もうほんとうに、この人の暴走を何とかしてほしい。
神さまに頼むよって感じ。

妹の介入


朗報なのである。
末期ガンの父の、介護をめぐる戦いなのだが、妹の介入により、あっさり解決した。

わたしが母と大喧嘩して出ていったあと、入れ替わりに実家に妹が帰ってきたのだが、母がわたしとの経緯を彼女に話したところ、彼女もわたしとまったく同じことを言って、大激怒したらしい。
つまり、介護のやり過ぎなのだ。
父を、お人形さんみたいに扱って、自分の思い通りに世話をしている様子が、気持ち悪かったのだ。

母はわたしに電話越しで、「明日ケアプランを持ってきてもらう」としょんぼり言った。
「どうやって選ぶ?」「本人に選ばせたらいいよ」
それで話は決まった。
もしかしたら父は、いまのままでいいと言うかもしれないが、やはり一度は、意志を尋ねた方がいいだろう。
まープロが好きな父だから、ケアプランを選ぶ可能性が高いだろうな。

それにしても、あんなにギャンギャン吠える母を見ると、心底うんざりしていたのだが、妹にまで責められ、今度はすっかりしょげてしまった彼女に、わたしは急速に同情してしまった。
そうなんだよ、この人はよかれと思って頑張ってたんだよね。
わたしは、もし父親が母親を選ばず、ケアプランを選んでも、いままでのことが無駄だったとか、しょげない方がいいよ、と伝えておいた。
すると、案外彼女は元気な声で、うんうんと言った。

妹はその後、ヘンな時間にパジャマを買いに行ったらしいが、この人は躁でも、あたまはヘンじゃないので、言いたいことを言ってくれる。
わたし一人では、あのまま父を助けなければ、という憔悴感とともに、辛い思いをしたに違いない。
父の最期は、一回しかないのだ。
絶対に失敗はしたくない。

わたしが、「母親と喧嘩したから、数日間出て行く」と、父にこっそり告げたとき、父はだいぶ心配したと思うが、今頃は、あーそういうことだったのかと分かってくれていると思う。
わたしが出ていくとき、元気に敬礼していた父。
父はこの家族を、50年間もまとめあげてきたのだ。
俺のことでいろいろ考えてくれるのはありがたい、とのんびり屋の父は考えていると思う。

さてこれからだが、わたしは父の様子を見て、まだ急変ということはないと思っている。
あと一か月ぐらいは、徐々に弱るとはいえ、現状維持じゃないのかな? 
とにかくここまで来たんだから、苦しまずにゆったりと、日々を過ごしてほしい。
まだまだ、この世が終わったと考えるには、早すぎると思うのだ。

入院するか否かの話

pajama

また急展開なのである。
妹が帰り、入れ替わりでわたしが実家へ戻ったところ、母がまたなんだか違う話をするのである。

「お父さんのベッドを、足が上がるやつに入れ替えたら、お父さん、怒ってしもうて、もう入院するって・・・」
「えっ?! なんで、ベッド勝手に替えたん?!」
「だって、介護サービスにお風呂頼んだら、ベッドもすぐに用意できますよって言われたから・・・」

もう~!!! なんてバカなの!!
病人にとっては、ベッドは一日中過ごす大切な場所なのよ。
身体を動かすのもしんどいのに、本人の承諾も得ずに、好き勝手に決めたらそりゃ怒るよ!!

「ゆき(妹)が、話聞いてくれててんけど、ゆみとも話をさせた方がいいって・・・」
わたしは、力を失った。
つい昨日、大反省して「介護のやり過ぎでした。ごめんなさい」と言っていた母が、もう翌日、こんなことをしている。
わたしは、「介護っていうのは、こっちから押し付けるんじゃなくて、本人にどうしたいか聞いてからやるもんやねんで?」と諭したが、彼女は、わかったようなわからないような表情だった。
ダメだ、やっぱりこのままでは、また同じことをする・・・。

わたしは、それでも入院は勧めない気でいた。
自分自身が入院回数が多くて、そのたびに病院のあまりの白さに、うんざりさせられてきたからだ。
また、父の病状を見ても、まだまだ身体は動けるし、そのため長い入院生活となると、しんどくなるのではないかと思ったからだった。

わたしは今朝、父に「入院するとか何とかって聞いたけど?」と尋ねてみた。
すると父は、ぼんやりしながら「すぐ?」とつぶやいたので、あっと思って、「いやいや、すぐにってわけじゃないよ」と引っ込めた。
昨日はやっぱり、怒りのあまり入院するって言ったんだな。
まあ気持ちはわかる。

それにしても、今回わたしがゾッとしたのは、母のあまりの判断力のなさだった。
なんでこんな簡単なことがわからないんだろう・・・、あたま大丈夫か・・・? と真剣に考えたのである。
これからわたしは、この人と2人で生活していくことになる。
でも、こんなふうに、人の考えが推察できず、自分の正当性を怒りにまかせて主張する老人って、なんか怖い。
わたしは、大丈夫なんだろうか・・・。

ともかくいまは、ちょっと反省した母が、出しゃばるのを自粛して、介護するときにわたしにいろいろ尋ねてきてくれている。
市役所から来た職員の人によれば、病人は、だいたいは娘の言うことはよく聞くものらしい。
この立場を利用して、わたしは父がより快適な緩和ケアライフを送ってくれるように、うまく立ち回ろうと思う。

眠ってばかりの父

sheep

昨日は、なぜかわたしのオロオロ病が出て、「米朝戦争で核兵器が使われるとしたら、大阪だ!」という妄想に憑りつかれていた。
だって、大都市で大阪だけ、迎撃ミサイルが配置されていないんだよ。
あれって、つまり「ここに落としてください」ってことじゃないの?
オトリにして、東京を守るつもりなのでは・・・。

妄想に悩みながらも、昨日も父の介護を、母と協力して行っていた。
父は、一日のほとんどを眠って過ごしている。
「よく寝るね」と言ったら、「気持ちがいい」と言った。
この調子が続けばいいな・・・。

夜、父は本格的に「寝る」と言うので、母とわたしでせっせと支度をして、「撤退!」と出ていこうとしたら、「ありがと」と珍しく言った。
介護もだいぶ慣れて、患者にとって楽になってきたかな?
ともかく、相手は動けないんだから、不快感のないようにしないとね。

あとはなんだか、ボーッとしていた。
そういえば、父と母が行くって言っていたコンサートチケットが、売れたんだよね。
この時期に行くつもりだったんだよなー。無理だよなー。
買った当初、わたしは密かに「無理じゃないかな?」と思ったのだが、そのときはまだ車の運転もするくらいだったので、なにも言わずにいた。
なんとなく、先ってわかるものなのかもしれないな。

そこで、勝手に今後を占うと、あと1ケ月くらいはあまり変化がないような気がする。
さらに日にちが経つと、痛みが出てくるとか、別のフェーズに入るかもしれないな・・・。
でもともかく、年は越すんじゃないのかな?
状態の悪い父をよそに、正月の餅を食べている訳にはいかないから、TVのおめでたさとは違う数日間になりそうだな。
すでに街は、クリスマスで賑わっているんだろうけど、これも関係なしだな。
今年の冬は、いつもと違う。


母のやり過ぎが治らない

light

また母に激怒なのである。
この人はもう、何度言っても、父の介護のやり過ぎをやめない。
昨夜は、父を休ませて電気を消したのに、まだ部屋から出てこないので、不審に思ってわたしは戸口で待っていた。

すると、そこから出てきた瞬間、「ああ。おしっこを外に出すのを忘れたわ」と、再び戻ろうとするのである。
「ちょっと。いままた、部屋をガサゴソしたら、病人がしんどいやろ」
「だって、おしっこが部屋にあったら、臭いやないの」
「あと2・3時間で、同じ部屋で寝るんやろ。そのとき、外に出せばええやん」

わたしのこの助言に、彼女は大声を上げて抗議し始めた。
わたしは、「しーっ!」と大きく手を振り回しながら、制止に入った。

「なんで、わたしがこんなに言われなきゃならないのよ。昼間は全然、部屋に行ったりしてないねんで」
「わたしが話してるのは、いまの話。最終チェックは、電気が点いてるうちにすべきで、暗闇でしても意味ないし、やり忘れたことがあっても、自分が寝るときすればいいわけやろ」
「わたしかて、いろいろ世話してんねんで!」
「だから、やり過ぎやねん」

数日前、このことは妹と二人攻撃で説得し、本人もしゅんとなって納得したはずなのだが、全然治っていない。
おしっこを室外に出したい、パジャマを着替えさせたい、布団を取り換えたい、――それは介護人がしたいからするのではなく、本人の具合や意向を優先させることが大事だと思うのである。
どうも母は、父を健康だったときと同じように考えていて、「あれはどこへやったかしら」程度の感覚で、病室をウロウロしているように見える。
このままではまた、父が「うるさいから入院する」と言い出しかねない。

また今朝早く、母に起こされて、父が吐くのを手伝っていたのだが、その後、母は「腰も濡れてるから、パジャマ着替えさせなあかんねん」と険しい声で言った。
これは、「自分のことを非難するけれど、わたしはこれだけの仕事をしているのだ」と言いたいわけだ。
だけど父は、吐いたあと「しばらくこのままで」と言ったのに・・・。
ふつうの人は、たくさんやることがあって、「もう介護なんて嫌だ」になるのに、彼女は「自分はもっとやりたいのに、やらせてもらえない」って言っているのがヘンなんだよな。
でも、そういうことを説くと、またギャンギャン吠えて、どうしようもなくなるから、黙っているしかない。

母には論理的な話がまるで通じなくて、とても疲れる。
いわゆる女の思考回路で、感情的で、話が飛ぶ、話が通らないとひがむ、睨みつけて脅す、言っちゃー悪いけど「女はあたまが悪い」って言う人の気持ちも、わからないでもないねと思う。
母にある「言わなくてもわかってよ」というサインは、効果がないばかりか、わずらわしいだけだ。
いま、わたしは、つくづくまともに話ができる人が欲しい。

深夜の介護

okidokei
疲れた・・・。
昨夜は遅く、父の看病で二回起きた。
一回目は嘔吐で、二回目はトイレ・着替えである。

この程度で、しんどいとか言っているのは甘いんだろうけど、この調子で年明けまで頑張れるのかと不安にも思う。
これからもっと、要介護度は上がっていくんだろうし・・。

「ヘルパーさん、呼ばなあかんな」
「そうやな、素人の介護ばかりやと疲れるよな」
わたしと母は同意した。
しかし、深夜の介護だけは、さすがにヘルパーさんは来れないから、一定のしんどさは出てくるんだろうな。
わたし自身の体調は大丈夫なんだろうか。
一般に、精神障害者はストレスに弱く体力がないのだ。

わたしが「介護のやり過ぎ」をくどくど言ったからか、母は「明後日、ゆき(妹)に来てもらってもいい?」と言い始めた。
もちろんかまわないが、母は毎日、わたしと顔を付き合わせているのが、嫌になったんだろう。
わたしも嫌だよ。
案外こういうのって、介護そのものより、介護人同士のいがみ合いなんかで、トラブルのかもね。

父には、こうしたややこしい関係を、まったく気づかせずにいる。
父は、もうかなり弱っていて、小さく話したりするが、身体を動かすときなどは、されるがままだ。
ほとんど何も食べず、水もわずか、点滴で不足分を補っている。
痛みがまったくないのが救いだ。
この時点で、こんなにも痛みを訴えないガンって、ラッキーなんじゃないだろうか。

さて、疲れたわたしは、母には悪いけど、明後日マンションで放送大学を見ながら、ゆっくり過ごそう。
しかしこれ、一人で介護している人ってどうやってるの?
絶対無理のように思えるんだけど・・・。
父の場合も、介護人二人でもダメになったら、入院になるだろうと思う。
その時期を、できるだけ遅らせられたらいいなと思う。

差し迫るX-Day

choshinki

今朝は、またドタバタだった。
わたしと母が朝食を終えたあと、父が母を呼ぶので二人して行ったところ、もう意識がないのだ。

わたしと母は、「しんどいの?!」と尋ねたが、口をやや動かすだけで、応答はなかった。
母がすぐに訪問看護へ電話し、わたしが父を見守っていた。
父の呼吸はいつになく荒くて、ハーハーといかにも苦しそうだった。
明らかに、これまでになかった症状だ。

看護師さんが来るまでの20分間ほど、わたしと母は父の様子を伺っていた。
「何か言うてるわ」
「痛いのかな。なんか嫌がってるみたい」
「足やわ。足組んでるから、外したいねん」

そんなふうにして看護師さんが到着したとき、父の容態は、ちょっとましになっていた。
看護師さんは、血圧や脈拍をみたあとで、わたしたちを別室に呼んで話をした。
「もう、いつこのまま亡くなってもおかしくないですよ」
「えっ、そうなんですか」
「あのまま、眠るように亡くなる方もいますし、100mを走ったあとみたいにハーハーしながら亡くなる人もいます」

わたしは、父が苦しい思いをしないようにとだけ考えて、看護師さんに尋ねた。
「常に、酸素を吸わせるとかってダメなんですか」
「それは、肺なんかの方でですね。いまの状態を見てたら、その必要はないですよ」
「SPO2(動脈血酸素飽和度)を測って、苦しそうなときはなんとかするとか・・・」
「ご家庭に配ることもありますけどね。いま95とかですから、大丈夫です」

ともかく、看護師さんの言っていることに従う方が、何もかもうまくいくのだ。
わたしは、このまま様子をみるしかないんだろうなと、ぼんやり思った。

その後、母が「ちょっといい?」とわたしの部屋に入ってきて、「こんなこと言うの、縁起でもないんやけど」と切り出した。
「ばあちゃんのときのこと、思い出してな。死んだら服着せなあかんねん。どれがいいかと思ってな」
わたしと母は、あれこれと父の服を選びだし、結局、黒の背広と白のシャツという、無難な感じにおさまった。
母は、「覚悟はしてたけど、いざってなるとどうしようって思うわ・・・」とガックリしていた。
わたしはわたしで、葬儀ってどう動けばわからないし、困ったなあと思っていた。

看護師さんに、「いつまでくらいですか?」と尋ねたら、「そればかりは、誰にもわかりません」と断言した。
いつまでなんだろう・・・。父は、楽して死にたいと言っていたから、あまり長びなない方がいいのかな・・・。
差し迫るX-Dayに、どんどん心が沈むのである。

疲労困憊とユンケル

lion

疲れているのである・・・。
父の看病で、一日中アレコレして、階段を昇ったり降りたり、ほんとうにグッタリである。
母はなんともないと言うので、わたしがやはり病気ゆえのしんどさがあるんだろうか。
思いついて、ユンケルを台所の奥から探してくる。

しかし、これが力が出なくて開かないのだ。
力を出すための飲み物の蓋が開かないって、どういう本末転倒?
結局、情けないことに母に開けてもらった。
彼女は、力自慢なのだ。

「ゆみさん、しんどそうって思ってたわ。身体がちょっと・・・」と母は言う。
やっぱり見ていてわかるんだな。
今日は診察日だけど、クリニックまで行くのがだるい。
でも、H主治医に話すのは、精神的に楽になるので、頑張って行ってこよう。

そして今日はまた、実家にわたしと入れ替わりで、妹が来ることになっている。
わたしは、自分のマンションで一泊一休みということになる。
ちょっと休憩ができるな・・・。
放送大学と「どうぶつの森・ポケットキャンプ」で、疲れを癒そう。

父に、「ゆきさん(妹)が来るよ」と言ったら、彼は「みんなに迷惑かけて、悪いのお・・・」と小さく枯れた声で言った。
わたしは不意を突かれて、「いや、近くにいるから」と答えた。
そして、父は最初ホスピスに行きたいと言っていたが、これでよかったのかなと思った。
彼自身は満足しているんだろうか。
やっぱり家でよかったって、思ってくれているのかな。

さて、父の死も秒読み体制に入っている感じだが、わたしは喪服その他を、マンションから実家へ運ぶ手間などを考えて、フラーッとなっている。
看病で疲れ切った身体で、果たして動けるんだろうか・・・。
葬式って、悲しみよりもバタバタの方が先だって、ほんとうなんだろうな。
それまでに、ユンケルを大量に用意しとかなきゃな・・・。

憔悴の日々


ものすごくしんどい・・・。
朝起きたときから、だるくてたまらない。
昨日の昼・夕もそうだった。
辛い。

昨日は診察日だったので、H主治医に父の介護の話をいろいろしたが、「まあ、お母さんとしこりを残さんようにな」と言われた。
わたしと母は、もとから仲が悪いし、介護人同士のぶつかり合いって、やっぱりあるんだな・・・。

診察のあと、わたしは自分のマンションに行ったが、まったく落ち着けなかった。
いまにも、父の訃報が入るんじゃないかと思って、何に対しても集中できなかったのだ。
疲れも全然取れない。
でも父のために、そういう様子は見せないようにしないと。
母が、まったく元気なのが救いだ。

わたしはいま、突飛だが、北朝鮮の核ミサイルの恐怖にも悩まされていて(病気だと思う)、そのことと、父の死が相まって、常に不安定な精神状態にある。
未来がしんどい。
もう立ち止まって、生きるのを一時的に止めたいぐらいだ。
「そんなこと、いま考えても仕方がないでしょ」と明るく言える人が羨ましい。

でも、いいニュースとしては、昨夜は、スマホゲーム「どうぶつの森・ポケットキャンプ」の面白いプレイ画像を見て、久しぶりに大笑いした。
すると、スーッと身体が軽くなったのだ。
こういう体験は前にもあって、そのときは楽しい夢でゲラゲラ笑ったあとだった。
笑いって、ほんとうに身体にいいと思うよ。
できたらもっと、大笑いしたいな。

なんか笑える材料がないかな、とわたしは少し考えたが、もともとテレビやDVDの類を見ないわたしには、すぐに思いつくことができなかった。
でもほんとうは、そんなものがなくても、一緒に笑ってくれる人が、そばにいるといいんだろうね。
嬉しいときも辛いときもね。

もしかしたら、わたしが落ち着かないのは、そこかもしれないな。
運命をともにしてくれる人がいない不安定さというか。
わたしが障害者になってから、親友たちはみんな去ってしまって、その後わたしには、一人で生きていけるんだろうかって不安ができた。
この不安を解消するには、わたし自身の考え方を変えるか、またはそういう人を作ることなんだろうな。
どっちもエネルギーがいるから、いまはできないけど。

ともかく、父の死は確実にやってくることなので、毎日、覚悟しながら生活しないとな。
この神経の使い方は、遠くに住む妹とは、また別になると思う。
とにかく、最後までベストを尽くして、悔いのないように頑張るのみだ。

気持ちいい夢

star

昨日、自分のマンションから実家に戻ったのだが、父の容態は、ドクターから「覚悟をしておいてくださいね」という状態らしい。
でもまだ、「氷水」とか「トイレ」などの要求はできる。
そのほかは、一日中眠っている。
それが、とても気持ちいいらしい・・・。

「お父さん、看護師さんが来たら、機嫌悪いのよ。せっかくすごく気持ちよかったのにって」と母が言う。
いい夢見ているんだな。
このまえは、カラオケが楽しかっただの、丸太を転がしただの、面白いことを言っていた。
ブドウ糖溶液以外のなにも処置をしていないのに、こんな安らかな死期もあるんだな。
ほんとうに、本人が望んでいたとおりの、苦しみのない終末だ・・・。

わたしは、そろそろ喪服の準備をしておいた方がいいのかなと思い、黒のタイツがない! などと、家のなかをガサゴソした。
結局、黒のコートをマンションに置き忘れたことに気づいて、また取りに行かなければならない。
自分の身体のしんどさは、昨日よりましだが、やっぱり疲れていることに変わりはない。
不思議なことに、母は元気いっぱいなのだ。
あの人の方が、わたしより3倍は働いているはずなのに、やはりわたしは、長年の闘病生活で退行現象が起きているのだろうか。
同級生の活動量を見ても、あり得ないくらい遠いものを感じるので、そうみてもいいのかもしれないな・・・。

いまちょっと気になっているのは、12月11日に大学陸上部の集まりがあるんだけど、それに行けそうもないなーということである。
なんて不謹慎な! って言われそうだが、わたしにとって外部の人と接触する場は、数ヶ月に1回といっても過言じゃないからね。
ちょっと、これは残念なんだよね・・・。
次にこのメンバーで会うのは、たぶん来春になるから、こんなのハレ―彗星だと思って、割り切るしかないんだけどね。

そんな、わたしの周りを取り巻く、重い空気を晴らしてくれているのが、スマホゲーム「どうぶつの森・ポケットキャンプ」である。
いろんなどうぶつたちに、囲まれて癒されて、いまのわたしにピッタリのゲームだよ。
魚釣って、果物採って、家具を自分好みにアレンジして。
自分だけの世界を造り上げて、自己満足するって、昔からわたしは好きなんだよね。
こういうので気晴らしして、ストレスを溜めないようにしないと、また母との仲が悪くなるからね。

さて、今日の父を見ると、看護師さんのされるがままといった感じで、ほぼ自発的に動いてはいない。
明日、お風呂に入れるとか言っているが可能なのか・・・?
わたしに決定権はないので、側で見ているしかないのだが、一週間前の父はお風呂を「気持ちよかった」と言っていたので、入れるなら入ったらいいのかなと思う。
生きているあいだに、いい夢とかいい気持ちを、少しでもたくさん味わえたらいいと思うんだよね。


粗食のこの頃

iwashi

昨日は、疲れてはいたが、その前よりはましだった。
父の容態は、芳しくない。
末期ガンなんだから、どんどん悪くなって当然なのだが。

最近、母と「今日の予定は?」と話し合って、一日を決めている。
やはり、テーマとして大きいのは「今日、なに食べる?」である。
それは同時に、「買い物に行く必要があるのか」「どっちが買い物に行くのか」を決める作業でもある。
うちの母は、スーパーでの買い物が大好きで、それこそ気晴らしになっていいと思うのだが、父の様子を見ていると、そう簡単に家を離れるわけにもいかない。

昨日の朝、母はわたしに「今日の晩ごはん、大根と厚揚げを煮たのはあるから、あと一品、なんか買ってきてくれへんかなあ」と言った。
わたしはそのとき、身体がだるかったので、「え~。なんか他にないの」と抵抗しようとしたが、暗黙のうちに却下された。
それでわたしは、自転車でスーパーへ行ったのだが、え・・・、最近、魚が異様に高くないか?
これって中国のせいなの??
一人当たり100円台で済むような魚がないじゃない??

ぐるぐる見渡して、わたしはようやく、ムニエル用のイワシ@280円を買った。
女2人だから、こんなもんで充分である。
おまけに、わたしも母も、小食・粗食なのだ。

夕方、父の看病で忙しい母を背に、わたしはイワシのムニエルとピーマン煮をつくった。
それと、冷蔵庫から漬物をいくつか出して、大根と厚揚げを煮たのでその日の夕食となった。
父がいなくなって二人になったら、たぶん毎日こんな食生活になるんだろうな。
わたしは、高価な食材に価値を見出さないから、全然いいけどね。

夕食を整えている最中に、父の部屋からなにやらキシキシと音がするので、そーっと覗いてみたら、眠っていたはずの父が、「足が」と言うのだった。
どうやら、ベッドの中央から下へ身体がずり落ちていて、足がつかえるということだったらしい。
そうこうしていると、母もやってきたので、二人で父の身体を上へずり上げ、ついでに「足が寒い」というので、布団をさらに上にかけた。

父はいま、自分の意志を伝えるのがやっとである。
こちらから気づいてあげないと、足がつかえているのだって、しんどいままである。
幸い、家が安普請なので、だいたいの声は聞き取れていると思う。
動けない人には、細心の注意を払ってあげないといけないなと改めて思う。

氷水とトイレの意思表示

chahhan

昨日の夕食は、チャーハンにした。
母と話し合って、「今日は買い物はやめて、残り物にしよう」ということになったのである。
朝は、父の入浴介助、昼は点滴と、一日慌ただしかった。
わたしは、にんじん・タマネギ・ハム・ネギ・卵・ご飯を炒めて、フライパンから各自よそうようにした。

「ちょっと早いけど、食べよう」と言って、母と二人で食卓についてまもなく、父が部屋から「おおー」と呼び声が聞こえた。
「はぁーーい!」と大声を上げて、二人でドタドタ駆けつける。
これには父も、「そんなに急がんでもええのに・・・」と少し前に言っていたが、ほんとうにそうかもしれない。
でもやっぱり、動けない病人を待たせるわけにはいかないと思う。

介護もだいぶ慣れてきて、だいたい呼ばれるのは、氷水かトイレだから、どっちなのかを聞く。
でもこのときは、「もう寝るから、薬を飲む」だった。
父・・・、日に日に、声も動きも鈍くなって、意思表示が難しくなっていくな・・・。
やがて、意思表示ができなくなったら、なんとかして、それを読み取る勘を養わなければ。
伝えたいのに伝わらないもどかしさって、結構辛いと思うんだよね。
だからいまのうちに、どういう表情・仕草がなんのサインなのか、勉強しておく必要があると思うんだよね。

父は、氷水をとても美味しそうにごくごく飲む。
ほんとうは、こういった消化器系の患者は、あまり飲んじゃいけないそうだが、こんなの制限したら、砂漠で乾けって言ってんのと同じじゃん。
看護師さんに、「このコップ1杯飲んでます」と言ったら、「えっ、こんなに?!」と驚かれたが、「このコップ、好きなんです。光るから」と答えると、「美味しそうに見えるんやね。じゃ、飲んでもいいですよ」と言われた。
もう死ぬんだから、好きなようにさせてあげてくださいってところだろうな・・・。
ある大腸ガン患者さんは、死ぬ間際に、湿らせた綿を口に当てたところ、一気に水を吸ったそうだが、喉が渇いて苦しかったんじゃないかと勝手に想像してしまう。
だからつい、わたしは、最後の楽しみの水だけは、と考えてしまうのだ。

父の容態は、先週、呼吸が荒くなって危ないんじゃないかと思える日があったが、いまはちょっと安定しているのかな? と思う。
母によれば、口を開けば不平不満ばかりだそうで、わたしにも「お母さんはなんで、あんなにバタバタするんや」と、小さくつぶやいていた。
願わくば、こんなふうに「死ぬ前日まで、文句ばっかり言ってました」というパターンがいいな。
とにかく、本人が望んでいたように、「楽に」がいちばん大切なんだよね。

父の容態変わらず

akazakana

昨日は、夕食の食材が切れたので、スーパーへ買い物に行く日となった。
買い物好きな母が、「わたしが行く」と言ったのだが、末期ガンで床に臥せている父のトイレの世話があるので、結局わたしが行くことになった。
トイレ介助は、元彼Sちゃんによると、「絶対、娘にはしてほしくない!!」とのことだったので、わたしはノータッチなのである。

その日はとにかく、煮魚が食べたかったので、またしてもスーパーを高速で回っていたら、赤魚とカレイを見つけたので、素早くカゴに入れた。
ほかの魚がバカみたいに高いなか、両方とも2切れ196円だった。
こんな安い食材が、わたしは大好きだ。
父が亡くなり、母と二人生活になったら、わたしはもともとの節約家の本性をむき出しにすると思う。

母と二人で夕食を食べていると、またしても父が「おおー」と呼ぶので、「はぁーい!」とダッシュで駆けつけた。
用件は、「もう、薬を飲んで寝る」だった。
父の容態は、思ったほど急激に悪くはなっていない。
意識もしっかりしているし、意思をちゃんと伝えることもできる。
先日、呼吸が荒くなったときは駄目かと思ったけど、まだまだいけるかもしれない。

今朝、父は、トイレのあとでホッとした表情をしていたので、わたしは「今日は、11月29日やで」と話しかけてみたら、しばらく考えたのち、「何時くらい?」と尋ねてきた。
「(朝の)4時」と答えると、そのままずっと目をつぶって黙っていた。
そうだ、病人って、ほとんど目を開けているときがないんだよな。
彼の立場になって考えると、耳から入ってくる情報がほとんどだ。
たぶん、大事はことはハッキリ、必要ないことはコソコソと強弱をつければ、楽なんじゃないかな?
当たり前だけど、それが逆になっていたら、迷惑もいいところだよね。

この頃、わたしも母も、父の看病でつきっきりなのだが、だんだんリズムがわかってきて、わたしは3時間おきに更新されるスマホゲーム「どうぶつの森・ポケットキャンプ」で気分転換している。
どうぶつや友だちがいっぱいできて、ほのぼのとするなー。
わたしの友だちの人たちは、わたしの境遇なんかまったく知らないんだもんなー。
だからこそ、架空の世界で楽しめるんだけど。
介護には、ほんとうに息抜きが必要だよね。

介護疲れの兆し

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昨日、一度激しく咳込んだら、その後、喉がオエッとなってはまた咳込む、という状態になってしまった。
風邪じゃないよな・・・、とにかく咳込んでいるというより、えずいているので、ちょっと苦しい。
父の看病で疲れているのかな。なんかヤバイ気がする。

ヤバイといえば、母もそうで、数日前から「腰が痛い」と言い始めている。
今朝にいたっては、夜と早朝の2回、二人して父のトイレと嘔吐の介助をしたので、さすがに「眠い・・・」と言っていた。
父の容態は危篤状態とはいえ、「日馬富士、引退したよ」と話しかけたら、「優勝は?」と訊いてくるだけの元気はある。
これでも、これだけ話していたのに、突然亡くなることもあるそうだ。
でも、そういう死に方の方がいいように思うけれど。

わたしの身体のガタはそれだけではなく、父の呼び声にダッシュしようとしたとき、足の親指を捻挫してしまった。
気をつけないと、いま、ケガして歩けなくなったらすごくマズイ。
介護人が痛んでくるって、事実なのね。
もし、思いのほか父が長生きしたら、こんなんじゃもたないよ。

そんな折、かねてから決まっていた大学陸上部の集まりの案内が来たのだが、わたしは到底行けるはずもなく、女子キャプテンのRちゃんに「父が危篤で」と嘘っぽい理由を伝えた。
Rちゃんは「それは大変!」とねぎらってくれたが、わたしとしては、行きたかったな。
今回は、山口から大阪へ、所用でやってくる同級生を囲む会だったのだ。
Rちゃんは、「うちらはまた会えるから」と言ってくれたが、山口県のSさんとはしばらく会えないだろうな。
うちの大学陸上部って、現役時代はいろいろ険悪な人間関係もあったんだけど、歳追うごとに、だんだん結束が強まっている。

こんな、少しばかりしんどい毎日を送りつつ、わたしはまたスマホゲーム「どうぶつの森・ポケットキャンプ」をやり続けている。
これは、唯一の心のやすらぎなのだ。
いまはとにかく、父の介護に全力投球しなければならない。
父の介護に関して、一かけらも後悔のないようにしたいのだ。

プロフィール

由巳ゆみ.

Author:由巳ゆみ.

2000年うつ病と診断される。
2010年躁うつ病と診断される。
現在は精神障害者として一人闘病生活を送っている。
◆LIFE,LOVE&PAIN(旧)
↑セキュリティをお忘れなく!
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  (ダイエットブログ)

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緊急避難先(FC2ブログ更新不能時)

当ブログについて

◆管理人の日記です。
◆文章の転載はお断りします。

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