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LIFE,LOVE&PAIN

双極性障害・解離性障害をもつ女性の日記。人生っていろいろあるよね。

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風邪にやられる。

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さてその後、咳はどんどんひどくなり、身体もだるくなって、ようやくわたしは、「風邪をひいたんだ」ということに気がついた。
この10数年間、たぶん一回もひいていないのに。
これは、慣れない父の看病で、疲れて免疫力が落ちたに違いない。
免疫力って、バカにならないものだと、ある看護師さんから聞いたことがある。

それで、昨日も今日も、しんどいわ苦しいわで、父の看病のことを考えると、目が回りそうなのである。
母にしっかりしてもらわなければ、これはつぶれる!
病床の父は、昨日からだるさを取る座薬を入れたので、そのせいもあってか、ほとんどの時間を眠っている。
ちょっと助かる・・・、その前は、2・3時間おきにトイレとか吐くとか言っていたから。
あれ、結構きつかったんだよね。

母と食卓で向かい合わせになりながら、「在宅看護なんて、これは無理やで」と言い合った。
「家族が複数おってやっとや。おれへんかったら、ヘルパーになるけど、あれもちょっとの間、いてくれるだけやもんなあ」
「ほんま無理や。医療費削ろうとして、家族に押しつけてるんやな。実際、医療行為やらされてるもんな」

わたしは針が怖いのでやっていないが、母は父の点滴を抜く作業をしている。
昨日は、指一本分くらいある座薬を入れろと、看護師さんが言ってきた。
素人は無理ですって・・・、自分にだって、苦労するのに。
これから、こんなふうに、医療でも介護でも、ご家庭でやってくださいっていうのがデフォになるのね。
なんか時代が退行しているわ・・・。

そんな困難のなか、母が、「ゆきさん(妹)、明日来るかなあ?」と呑気に言い始めた。
「えっ。来るんなら早く決めてもらわんと」(←仲が悪いので同席しない。)
「あの子、調子が悪くてなあ。最近、ものすごく物忘れが激しくて、なんか言うたらすぐ怒るし、ごはんも好きな時間に勝手に食べてるし」
わたしはあとで考えて、もしかして、若年性アルツハイマー病じゃないのかと思った。
物忘れが激しい・怒りっぽくなる・生活がだらしなくなる、認知症の症状の一部じゃん・・・。
まーどっちにしろ、おそらく自分が自覚しているよりも、よくない状態だろう。
父との最後の時間に、憂うべきことだな。

ただ、父も割り切っているというか、妹が「自分だ」と言ったとき、「(ゆみでもゆきでも)どっちでもいい」と言ったらしい。
どういう意味なんだろう??
しんどいときに、妹が躁のテンションでパーッと突撃したとか??
わたしも妹も深く考えていないけど、場合によっては傷つく言葉だよね。
こんなに看病してんのに、どっちでもいいってかーとかさ。
ほんとうに、病人は難しいから、いちいち言うことを気にしていたら、どうしようもないね。

さて、まだまだ身体的にキツイ毎日が続きそうだが、しっかり食べて、ゆっくり休んで、合間に「どうぶつの森・ポケットキャンプ」をやって癒されよう。
ゴールは嫌だと思うけど、終わりなきゴールというのも、辛いものだとしみじみ考えるわ。


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疲労の極致

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もう、ぐったりなのである。
末期ガンの父の在宅ケアが、いよいよ最終に入ってきた。
父は、なまじ意識があるだけに、要求が多いのだ。

「水」「トイレ」「足が冷たい」「身体を掻いて」、ほんとうに2・3時間ごとに呼ばれる感じ。
わたしはここにきて、ひどい風邪をひいてしまい、自分の不注意とはいえ、身体が辛い。
まったく、訪問看護なんて受けるもんじゃないよ。
訪問看護を受けるということは、その人の人生最大の危機に、寄り添わなきゃいけないことである。
向こうは命がけなんだから、ハンパな根性じゃ受け止められないよ。

そういうことで、一昨日あたりから始まった、麻薬入りの薬のせいもあるのか、父は父らしくない発言をするようになった。
「俺はもう駄目だ」「おかあさん、おかあさん」と、しきりにうわごとを口にする。
死ぬときの恐怖って、耐えがたいものがあると思うので、わたしは「心配せんでも、うちらがおるで」と励ましておいた。
自分が死ぬとしたら、そのとき周りに誰もいなくて一人だったら、さぞかし辛いだろうと思う。
しかしわたしは、いまのままでいくと、そういう末路になるわけだが。

今日来た看護師さんによると、「血圧も下がってますし、尿も少ないですし、・・・」ということで、どうやら、あと数日の見立てのようだった。
わたしは疲れているのもあって、はあ・・・という感じだが、母は相当打撃を受けていて、今ごろになって「お父さんがいなくなったら困る」と言っている。
看護師さんへの悪口も、陰湿極まりないので、「やり場のない気持ちを、八つ当たりでぶつけてるんやろ」と言ったら、即答で「そうや!」と吐き捨てた。
この人はなんで、こんなに感情的なのかなあ。
女の中の女っていうか、つまり女々しいんだよな。

だが、わたしは風邪引きの身で、戦力はほとんど母親であることも事実である。
父が期待しているのも、100%母の力だろう。
わたしは、母のお手伝いで頑張るしかない。
あと数日間になるのかわからないが、父が「よくやってくれた」と思うくらいのことができたらいいと思う。


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最期の抵抗

kowareru

いよいよ、父の容態が悪い。
そのことを、父自身も知っていて、死の恐怖に怯えているようだ。
麻薬でうつらうつらしているが、しきりに「おかあさん、おかあさん」と母を呼ぶ。
ベッドの端をずっと握りしめているのを見ると、世界が壊れて、足元が崩れるのが怖いんじゃないかな。

わたしは、人の死に立ち会ったことはないが、それはどこかに書いてあったように、美しいものではなかった。
ヒトには死にたくないという本能がある。
それが自分の手に負えなくなって、まさに目の前で銃を突きつけられた状態になったとき、人はパニックになって取り乱すのだろう。
父も例外じゃない。
麻薬は心地よい夢を見させてもらうものではなく、目が覚めるごとに死の恐怖を味わうもののようで、意識が戻るたびに、唸り声を上げていた。
楽な死に方なんて、どこにもないんだな・・・。

しかしともかく、生きているわたしと母は生身なので、「交代で休憩しないともたない」と話し合って、昼はわたし、夜は母の担当でいこうということになった。
わたしの風邪は相変わらずで、ひどい咳のあまり、全身疲労感に悩まされている。
つくづく、在宅看護なんかするもんじゃない・・・。
お互い、最後の別れに苦しむことになると思う。

今朝、看護師さんが来たとき、父はまったく話せなくなっていた。
看護師さんの呼びかけに、小さくなにかを発音するだけだ。
でも、あたまではちゃんとわかっているらしい。
この状態は、ほんとうに辛いだろうな。
こちらにできることは、本人の気持ちを察してあげることくらいだ。

それにしても、わたしはこの数日間、看護でヘトヘトになり、食欲もなくなって、看護人としては失格となってしまった。
お葬式なんか、出られるのかって感じ。
つくづく、人の死を看取るということは、簡単ではないと思う。


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死への恐怖

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昨日は、父が麻薬で、あちこちを彷徨っているところに付き合っていた。
どうやら数秒おきに、ぱあっと夢が現れたり、現実に戻ったりしているようだ。
現実に戻ったとき、なにかを訴えていることが多い。
それがなんなのか、察知するのが難しい。

身体全体をもぞもぞさせているので、なんだろう? と思ったら「暑い」だった。
さらに、まだ足をもぞもぞさせているので、「これにも何か意味があるの?」と尋ねたら、今度は「足を伸ばしてほしい」だった。
こんなに身体が動かせないなんて、しんどすぎる・・・。
もうこっちが、じっと全身を見渡して、想像するしかない。

今朝、父と一緒の部屋に寝ている母が、「昨日の晩、ずっと唸ってるから何かと思えば、身体を動かしてほしかったみたいよ」と言った。
わたしは、寝がえりが自分でできなくなれば、セオリーに従って、2時間おきの体位変換をするしかないと思った。
こんなの、要介護老人に対して毎日やっていたら大変だけど、父はもってあと数日なのだ。

父は、しきりに母を呼び、恐怖から逃れようとしているようだ。
わたしの前でも、パニックになっていたことがあった。
わたしは、緩和ケアっていう名前には落とし穴があると思った。
痛みや苦しみが軽減されたぶん、毎日、死刑台への宣告を待つ死刑囚となってしまうのだ。
父自身は、緩和ケアに大きな期待を持っていたが、こんなことになるなんて予想もしていなかったはずだ。
だからといって、身体的な苦しみの方がいいとも思えないので、あのときはこの選択しかなかったのだ。

父の最期のあがきを見ていて、わたしは死ぬ間際の人間は、正直見苦しいものだと思った。
放送大学で、「死の学問」みたいなのを見たのだが、人間は死の間際、「受容」の段階に入らないと、見苦しい死に方をします、と淡々と専門家が語っていた。
すごいことを言うなと思ったが、きっと死に際は人それぞれで、ギャーギャー騒ぎ立てる人も怒る人も静かな人も、さまざまなのだろう。
わたしはどうなんだろうな、とつい考えてしまう。
でも、平静に死ぬにには、たぶん宗教や教養が必要なんじゃないかなと思う。

父は今日、お風呂の日なのだが、母がそのことを伝えると、嬉しそうにしていたという。
一日一日、ささやかな楽しみがあれば、恐怖から逃れやすくなるのかなと思う。
明日はうまくいけば、妹がうちに来る。
そのことを楽しみに、今晩も楽に眠れたらいいと思う。


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悪夢の連続

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昨日も、一日中、父は苦しんでいた。
身体じゃない、精神の方だ。
麻薬を使い始めて数日間、身体が動かせないうえ、起きている間じゅう、死の恐怖に怯えなければならないので、いくぶんあたまがおかしくなっているんじゃないかと疑う。
これが父か・・・。自我が剥がれ落ちて、生への執着をあらわにしている死に際の病人。
本人の自尊心の保持のためにも、やはり在宅看護はすべきじゃない。

わたしは、あんまり疲れたので、かねてから来ることになっていた妹が、確実に来るのかどうか母に確認してから、今日は一日、マンションへ行って休むことにした。
目が覚めたとたん、誰か来てくれと必死で懇願する、もうあんな父は見たくない・・・。
悪いけどわたしは、家じゅうを巻き込んで、家族をヘトヘトにするような死に方はしたくない。
看病している家族は、生身で休憩も必要なんだから、わずか数十分おきに呼ばれると辛い。
もちろん、死が近づいているのに、平静でいられる人間なんかいないと思うが、わたしのときはなるべく自制したいと、いまは思う。

「病院でも、見に来たらすぐ帰るんやから、うちはハーイって返事しとけば充分やで」と、タフな母が言う。
わたしはもう、父のそばにいてくれ攻撃にほとほと疲れているのだが、彼女が元気なのは、夫婦と親子という関係の違いからだろうか。
父も、わたしではなく母を呼んでいて、わたしは母の合間に顔を出しているという感じだ。
妹にいたっては、「ゆみとゆきのどっちでもいい」と言われたくらいだから。

わたしは現在、風邪に引き続き、断続的に「うえぇっ」と、えずきが出ている。
まえに、元彼Sちゃんとの関係でうまくいかなかったときに出ていた。
相当、ストレスでやられているのは間違いないな。
何より辛いのは、ずっとそばにいてくれた人の、変わり果てた姿を見なきゃならないことだ。
それで、結論は最初の、「在宅看護はやるもんじゃない」に落ち着くのだ。


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父のスライム化


昨日、実家に妹が帰ってきたので、わたしはマンションに逃げてきた。
父の看病があったが、母は2日ぐらいいてもいいと言ってくれたので、どうしようかと考えているうち、次第に喉の奥がつかえてきて、わたしはゲエゲエとえずき始めた。
死に際の父の、醜いまでの生への執念を思い出すと、止まらないのである。

ほんとうは、わたしは二度と父の元へ帰りたくないのだと分かったので、私は実家へ電話を入れて、震える声で「吐き気がするねん」と言った。
母はちょっととまどったが、「あらそう。じゃあ、しばらくそっちにいるといいわ」と言った。
それから、Hクリニックへ電話するように言われたので、その通りにした。

H先生に状況を伝えると、「心因性嘔吐ナントカやろ」と言われた。
「どうしたらいいでしょう? 父が死にたくないってギャーギャー見苦しすぎて、まいるんです」
「そらまあ、看取ってあげたいんやったら、家にいたらいいし、しんどいんやったら接する機会を減らしたらいいんちゃーう」

わたしは当たり前のことを言われたなと思ったが、同時に、ドクターによるこうした意見、つまりアリバイが欲しかったのだと理解した。
あとあと、あのとき、頑張って看護すればよかったと悔やまないためにも、無駄だと思える段取りもたぶん必要なのだ。

このことを母に折り返し電話して、わたしは今後おもに、買い物を実家に届ける役をすることにした。
実は、それでもまだ恐怖感がある。
父の命を乞う呪いの声が、家じゅういつでも聞こえるからだ。
この人はもう、わたしの親であることを捨てている。
死という大きな恐怖のあまり、すべてがドロドロに溶けて、欲望のままに叫んでいるスライムと化したのだ。

わたしは、温厚でおっとりした父のこと思い出した。
なにも考えてないようで、じつは物事を鋭く見抜いている人だった。
わたしはあんまり自覚がなかったけれど、母によると、わたしたち姉妹を、とてもかわいがってくれたらしい。
もうあの父はいないんだな。
お別れはもう、済んでしまったのだ。

H先生に、「いまわめいているんだったら、まだ死なないですよね」と質問をしたら、「まあそうですね」と答えたので、「げー!」とわたしは叫んでしまった。
なんてことを言うんだという感じだが、半分本気である。
毎日、今日が死刑執行の日かと待っていれば、誰だって頭がおかしくなる。
もう早く、幕を下ろしてあげてと、わたしは辛い気持ちで思う。


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幕引きのとき


瀕死の父の唸り声から逃れて、自分のマンションに辿り着いたわたしは、スマホゲーム「どうぶつの森・ポケットキャンプ」をやりながら、死の体験というものについて、ずっと考えていた。
死・・・、死ぬときの感じって、どんなだろう?

父みたいに、死にたくないと言って、わあわめ土壇場でわめく人は、もしかしたら死の覚悟ができていなかったのかもしれない。
彼は写真などの整理をして、過去の精算はしていたが、先のことを考えていたかどうかは怪しい。
その証拠に、かなりあとになってからも、最新医療センターへの執着があった。
また、寝たきりになってからも、「俺はこれからどうなるんや?」と、死生観を、まるで持ち合わせていないかのようだった。

もしかしたら、死ぬとわかったら、いろんな書物を読み、あらゆる人の生きざま・死に方、哲学、宗教などを取り入れ、自分なりの方向を決めることが必要なのかもしれないな。
看護師さんは、「ドラマのように『さよなら』とか言って死ぬ人は、絶対いないですよ」と言っていたから、なにをしようが簡単ではないんだろうけれど、何の勉強もなしに、手ぶらで死という恐怖に突入したら、誰でもパニックになるだろう。
わたしはこれを機会に、これからでも少しずつ、そういったことを考えていこうかなと思っている。
イメージトレーニングは、いまからでも早くない。

さて昨日は、恐る恐る実家に電話し、父の具合を尋ねていたのだが、夜になって、もう意識がないと母が伝えてきた。
わたしは、それを聞いてホッとした。
もうあの、「死にたくない、助けて」の断末魔を聞かなくていいのだ。
母はわたしに、「もう明日ぐらいやと思うわ。あんたはもう、立ち会わん方がええやろ」と言った。
わたしは力なく同意した。

その後、父が亡くなった後のことが頭をよぎったが、意外にも「空気がカラッとするだろうな」と思い浮かんだ。
よく考えたらこの数年間、父の病気が家の中を充満していて、東京オリンピックのことを語るときも、胸がつかえていたんだよね。
いまそのことに気づいて、これから母との生活は、ガラリと世界が一変すると思う。
とうぶんは、母とのパワーバランスに悩まされるだろうけど。
お互い、この人とは話ができないと思っているので、関係保持がとても難しい。

父の介護が始まって約1ヶ月間、そしてこれからお葬式を経て、ようやくこの人生の一大事は終了となる。
忘れもしない1ヶ月間だ。
ただ介護だけは、あとになっても、母親と二人で一生懸命やったと言えると思うんだよね。
そこのところは、ほんとうによかったと思う。


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リビングウィル

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朝から、精神科の診察に行く。
そしてH先生に、その後の父の様子を話した。

「(実家から)マンションに逃げたら、吐き気がなくなりました。父は、もう点滴を外しました」
「意識はないの?」
「あるかもしれません。呼びかけたら少し動きますし。動かれへんのって、しんどいですよね」
「うーん」
先生は、もちろん自分の患者のことではないので、あまり深く追求せず、「いまどき在宅看護は珍しいな」と言った。
「そうなんですか? でも、在宅介護ならではのルール違反をしてるんですよ。本人が欲するまま、氷水をいっぱい飲ませてあげたりとか」
「(ニヤリ)リビングウィルって知ってるでしょう。命が縮まるとわかっていてもね、うん」

そこは、やっぱり在宅看護にしてよかったと思うところなのだ。
病院だったら、氷水どころか水も飲ませてもらえるかさえ疑問だ。
喉が渇いているのに、水が飲めない地獄。
父は、氷水をとても美味しそうにゴクッゴクッと飲み、はぁーと一息ついて、闘病の合間のオアシスを感じていた。
それだけでも、わたしは「家でよかった」と思う。

いま、父は呼吸が荒くなったり止まったりしていて、目は少し開いているが、視線は一方向である。
看護師さんは、「もう、この状態だとしんどいとかないですよ。耳は聞こえてますから、言ってることはわかってるかもしれないですけどね」と言った。
わたしは、意思表示できない父が大変だろうと思い、看護師さんが帰ったあとで、「のんびり、のんびり」と声をかけておいた。
なんとなく、わたしは父は意識があって、パニクッているような気がしてならないのだ。
だから、「もう焦らないで。ゆっくりしなよ」と言いたいのだ。

母は、ちょっと動転していて、なにも考えられない様子だった。
昼すぎ、「そっちに行くから、ついでに夕食を買っていくよ」と電話したら、「なにもつくれないから、弁当でいい」と言い、だけど明日はどうするのよと思ったわたしが、パンとかそばとかを買って行ったら、案の定なにも食べるものがないのだった。
明日、いきなりお通夜とかになったらどうすんの・・・。
ここはちょっと、わたしがしっかりしないといけないのかもしれない。

それにしても、危篤になってからが、ほんとうに長いわ。
看護師さんは、「心臓が強いです」と言った。
元気だったころは、心房細動におびえ、しょっちゅう脈を測ったりしていたが、なんのことはない。
だが、あんまりこの状態が続くと疲れると思うので、そろそろ楽になるといいんだけどな、とわたしは父の頑張りを、ただ見守るだけでいる。




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父のラストスパート

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父はもう、完全に植物状態になってしまった。
自ら意思表示をすることはなく、ときどきゴウゴウと大きな息をしているだけである。

しかし、今朝なんとなくうめき声がしたような気がしたので、父の部屋へ入ってみると、大量の吐瀉物があった。
慌てて母を呼び、二人でなんとか片づける。
その後、看護師さんが来て、バイタルチェック等をしたあとで、「これだけ尿が出てたら、まだまだいくわ」と言った。
わたしと母は、「もうだいぶしんどいやろうから、早く楽になるといいのにねえ」と話した。

看護師さんは、「もう意識はない」と言ったが、ほんとうなのだろうか。
わたしは一応、意識があるものとして、父に接している。
ホスピスに行きたがっていた父なので、なるべく二時間おきくらいには、見回りに来ようかとか。
しかし、ここに来てまた問題が起きた。
わたしの、例の吐き気である。

このまえは、父が生への執着のあまり、わあわあ叫ぶのが吐き気の原因だったが、今回は吐瀉物の強烈な臭いである。
それは、胃液と胆汁なのだが、とにかくツンと鼻につく。
わたしは、マスクをつけずに吐瀉物を処理したのは、失敗だったと反省した。
この臭いは、常時口から臭っているので、また父の側に行くことを考えると、悪いけどまた吐き気がしそうだ。

それにしても、こんなふうにみんなの世話になりながら、生きながらを得るのは、父の本望ではないだろう。
きっと、迷惑をかけずに楽になりたいはずだ。
だから、もうあまり無理しなくていいよと言いたい。
わたしと母も、結構疲れている。
みんなでしんどい思いをしなくていいんじゃないの。

ただ、在宅看護に関して、看護師さんが「病院はやっぱりしんどいですよ。点滴抜いたら、拘束しますしね」と言っていたので、決してくたびれ損にはならないんだと思った。
あと少しだ。
父が楽になれたら、わたしもとにかくゆっくりする。
そして、スマホゲーム「どうぶつの森・ポケットキャンプ」を、心ゆくまで楽しむのだ。


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父のお通夜


おととい12月9日午後1時4分、父が亡くなった。
午前10時半に看護師さんが来て、バイタルチェックをしたあと、わたしと母が昼食をとり、再度父の様子を見に行ったところ、彼は息をしていなかった。
あんなに荒く呼吸していたのに、なんだか急に止まった感じだ。
しかし楽になれて、ほんとうによかった。

母はさっそく親戚やご近所に連絡してまわり、葬儀屋にも話をつけ、それから慌ただしくなった。
わたしも母の手伝いをしたが、彼女ほど精神的負担があるわけではない。
ただ母は、書類をあちこち探し回ったり、完全に取り乱していたので、そこはわたしがカバーした。

母の心配は主に、葬儀の内容・参列者の数だった。
しかし結局、お通夜・お葬式ともに、大分の田舎から5人、大阪の繋がりが6人参列することになり、まさに家族葬といったお見送りとなった。
これは父自身が望んでいたことであり、そのことに関してはよかったと思う。

式場も生前から抑えてあり、これは家族葬とは呼べない、なにやら立派なものとなってしまった。
この理由は、家族葬という言葉がない時代に、父自身が会員の積立をしていたためだ。
だが、遠方から来る親戚たちのためには、わざわざホテルを行ったり来たりというのは気の毒なので、これで良かったと思う。
何より、何もかもが本人の望んでいた通りになったのが喜ばしい。

そしてお通夜は、全員でワイワイと賑やかでとてもよかった。
父には兄弟がたくさんいるが、彼らがとても陽気なのだ。
兄弟たちの人たちは、みんな顔を真っ赤にして、楽しそうに飲みかわしていた。
これもまさしく、父の望んだ通りだと思う。

夜中まで飲み明かすであろう彼らを残し、わたしと母は家に戻った。
そして「いいお通夜やったなー」と言いあった。
やはりうちの田舎では、いくら家族葬とはいっても、ほんとうの簡略式というわけにはいかないようなので、父の世代まではこういうことになるのかなと思う。

わたしは、父の臨終が比較的早く見つかったこと、遺影が美しく仕上がったこと、父が好きだった曲を会場で流せたことに自己満足した。
あれだけ頑張って看病し、これだけの納得のいく お通夜ができたんだから、もうほとんど100点に近い。

今日はお葬式だが、昨日とそんなにやることは変わらないので、また同じメンバーで和やかになるんだろうと思う。
肝心の父はいま、棺の中で安らかに眠っている。
闘病のときから、苦しそうな顔はしていないので、いつもののんびりした表情である。
この人が、今日消えていなくなってしまうなんて信じられないな。
とうぶんは家で、母と二人のぎこちない生活に戸惑うだろうと思う。


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葬式のあとで

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昨日無事、父の葬儀が終わった。
帰宅してから、どっと疲れが出て、母とお茶を飲みながらあれこれ話をする。

「それにしても、さすがにちゃんとした葬儀屋さんにお願いしたら、立派なものになるなー」
「ホテル並みやったね」
「それに、来る人は親戚ばっかりで、お父さんの望みどおりのお葬式になったわ」

それから、「やっぱり淋しくなるわ」と母は言い、わたしは「これからお金あんの?」となんかちぐはぐなことを言った。
「お金? さあ、遺族年金がいくらかわからんからなあ。生活費、計算してみたらええやん。光熱費が・・・」
母は計算を始め、「ほら。なんとかなるやん」と言った。
ちなみに、うちの母は若い頃、国民年金を納め損なったので、額が非常に少ない。
わたしも、これに頼りきるわけにはいかないので、障害年金のなかから少し生活費を出すことになる。

そうかー、なんとかなるか、と安心したところで、今度は父の遺影を見て、「背景がシンプルすぎたかな」と考えた。
わたしは自分でも思うが、直球ど真ん中のことを考えず、外れたことを言って、人を呆れさせることがある。
葬式の最後の対面で、うちの妹も、花に埋もれた父の腹を探って、周囲を困惑させていた。
本人によると、父の手を探していたらしいが、なんでわざわざそんな変わったことをするんだと姉のわたしでも思う。

母と、ごはんと漬物とコンビニで買ってきた餃子を食べ、広くなった家に身を置いていると、これからまったく違う生活が待っているんだなとひしひしと感じた。
もとから家では存在感のない父だったが、当たり前だが、いるのといないのとでは全然違う。
たった、4ケ月前までふつうに歩いて話していたのに、不思議だな・・・。
人が消えていなくなるって、なんだか全然実感がわかない。

母が、父の病室にしていた和室に祭壇をつくったので、寝るまえ二人でなんとなくその前に座った。
母がまた、「ほんとに淋しくなるわ・・・」と言った。
わたしは、「ほんとにいなくなったのかな」と思っていた。
たぶん、これからしばらくは、母は打撃を受けて、まいってしまっていると思う。
サポートなんて偉そうなことはできないけれど、自分の健康に気をつけて、お互い喧嘩にならないようにしたいと思う。


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母と二人の生活

yuri

今日は朝8時半まで寝ていた。
正確に言うと、4時半に起きて、1時間ほどスマホゲーム「どうぶつの森・ポケットキャンプ」をやったあとで、また寝たのである。

父のいなくなった家は、がらんとして、いままでとまったく違う。
母は、しゃべってはいるが、ときどきぼーっとして、まったく元気がない。
しばらくはこんな日々が続くんだろうな。
55年間続いてきた関係がなくなったんだから、無理もない。

わたしは、身体がだるくて疲れている。
なんだかんだ言って、まだ葬式の残務処理は終わっていない。
世話になった方々へのご挨拶、葬式屋への支払い、その他もろもろ。
妹なんかは、葬式にちょっと来て、ああ亡くなってしまったで終わっていると思うけど、こっちがいまだに仕事を抱えていることなんか、考えていないだろうな。

そういうわけで、明日は初七日、明後日は祭壇のスペースをつくるための作業、その翌日は葬儀屋への支払い、そして市役所へ手続き、寒中見舞いの作成などがまだ残っている。
全部終わるのは、年明けだな。
母とは、もう今後、おせち料理はやめようと言っている。
それでいいと思う・・・、わたしもお酒をやめたので、薄味のつまみだけで一食とするのはしんどいものがある。

わたしと母は、父が亡くなったことで関係性が変わっており、いま両者とも腹の探り合いをしている。
お互いうまくやらなければと考えているのだが、どうしても合わないところがあるので、言動に注意しながら、ぎこちなくやり取りしている感じである。
わたしは、母の、「同じことを何度も言う」と「言わずもがなのことを言う」と「感情的ですぐ噛みついてくる」が、話をしていてとても辛いのだが、これは無視するしかないだろうな。
向こうはわたしの、「言い方がきつい」「スパッと切り捨てる」「優しくない」が不満だと思うが、わたしはうやむやな話が嫌いなので、話題を選んで黙っているしかない・・・。
ちょっと家にいるのが辛いかもしれないな。
ちょくちょく自宅マンションに行って、リフレッシュする必要が出てくるかもしれない。

母と二人の生活は、ほんとうに不安でいっぱいだ。
もともと好きな人じゃないから、間違っても、母娘べったりカップルのようにはいかない。
わたしが病気で躁になったときは、異常にイライラするので、そのときのことも心配だ。
自分のマンションがあるのが、幸いだと思う。
とにかく、これからの生活のリズムをつくっていくことが、当面の課題かなと思う。


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父の死と残務処理

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昨日は父の介護ベッドを返し、母と保険などの書類整理に追われていた。
父は、ガンとわかる直前に、なにを思ったか保険を一部解約してしまったそうで、母はそのことでぶつぶつ言っていた。

「でもまあ、お父さん、葬式代も財産もちょっと残してくれたし、よかったわ」
「財産?」
「まあ、なんとかなるわ。大丈夫やろ」
「・・・」

働けないわたしにとって、親の財産がどのくらいあるかは、将来のために重要だ。
いくら持っているのか知りたいが、まったく教えてくれようとしない。
相続権を主張する気はないんだけどな・・・。
額は知っている方が、やりやすいんだが・・・。

車は、隣に住む叔父に譲ることになった。
母は、「愛着のある車やから、その方がいいわ」と言った。
擦り傷だらけの、いかにも高齢者が乗っていましたというヘナチョコ車。
父は、もともとは安全運転で、車に傷をつけたりしなかったのだが、高齢になってから、急に車のあちこちに擦り傷をつけるようになった。

そんなふうに、なんだかんだしているうちに、一日があっと言う間に過ぎてしまった。
わたしが放っておくと、母はごはんと漬物だけ、みたいないい加減な食事をするので、ちゃんと食べなきゃ駄目だと主張して、夕ご飯はトンカツにした。
母は、「お父さんにそっくりやわ」と言って笑ったが、確かに似ているところはある。
わたしも父も、時間や食事に関してだらしないのが嫌いなのだ。
母の、もそもそ残飯ばかり口にしたり、時間に限らずお菓子を食べたりしているところが、見ていてなんとなく不愉快なのである。

ごはんを食べたあとで、母とこれからの残務処理や予定を確認した。
なんだかまだ、ふつうの日常会話ができる状態じゃない。
ふつう、が戻ってきていないのだ。
母はまだ、お父さん、お父さんと何かにつけて言っているし、とうぶん平穏な日は来ないんじゃないかな。
わたしは父の看護以降、相変わらずまだ疲れたままだが、早く日常を軌道に乗せたいと思う。


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重苦しい日々

mezamashidokei

朝、8時半まで起きられない。
ちょっとした悪夢というか、眠りが覚めた頃に、父の死が思い浮かんで、重い気持ちになる。
人が死ぬっていうのは、やっぱり不幸なことだな・・・。

母もその時刻くらいまで起きられないようで、2人で遅い朝食を摂った。
今日の予定は・・・、とお互い確認し合う。
この日は、わたしが美容院で、家の用事は、家具を大型ゴミに出すことだった。
午前中に、古いベッドや椅子を、女手2人で担ぎ出した。

わたしは美容院に行ったあと、銀行やスーパーへ寄ったのだが、時間はあっと言う間に夕方4時だった。
その後、少しスマホゲーム「どうぶつの森・ポケットキャンプ」をすると、すぐに夕食の支度と食事となった。
なんだか、用事ばかりしている気になる。
しかしたとえ、時間に余裕があったとしても、わたしは心からくつろげないだろうな。
気になっているのは、経済的なことだからである。

もういい加減にしなさいという具合で、母は「なんとかなるわよ」を繰り返す。
わかっているんだけど、でもその根拠ってどこにあるのだろう・・・。
生まれてから去年までの長い年月、わたしは未来は常に広がっているものだと信じていた。
だけど考えたら、この時代、いつ生活レベルが急降下するかなんてわからない。
とくに、いまのわたしは障害者だから、なにかあっても、ふつうの人たちのように、みんなで横並びというのができないのだ。
その孤独感が、いちばん怖いのかもしれない。

自宅マンションの近くにあるスーパーを出てから、わたしは、「マンションを売った方が、より長く自力で生活できるんだよな・・・」とか考えていた。
だけど、実家は古いので、わたしが一生住めるものじゃないらしい。
それと、スウェーデンとスイスで実験された「社会保障制度を解体して、税金で国民を養う制度」については、この先いつか日本で実施される可能性があるんだろうか、などと考えた。
しかし尋常じゃないのは、いずれにしても今後10年間の話じゃないところで、ここがわたしの病的な囚われなのかもしれない。

こんなわたしをよそに、母はふつうの人のように、亡き父のことを思って淋しい気持ちでいるようだ。
それがふつうだよな・・・。
ほんとうは、こんな母と一緒に父のことを語り、2人で慰め合うというのがいいんだろうけど、どうも父が亡くなったことについて、わたしは淋しいとか悲しいとかいう感情が湧いてこない。
「なんかいないな」って感じである。
しかしいまのこの、重い時期のことは、一生忘れないんだろうな。
早く、ふだん通りの明るく軽い日がやってくるといいなと思う。


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仏壇の移動とか

butsudan

今日は、葬儀屋が来て集金をしていった。
高い・・・、父はまだ家族葬がなかった頃に、葬儀屋に積み立てをしていたので、小さな葬儀にならなかったのだ。
しかし、大分から大阪まで、はるばるお通夜と葬式に来てくれた高齢の親戚たちのことを考えると、これは致し方ないと思われる。

葬儀屋は、集金だけでなく、今後どうすればいいのかまで教えてくれるサービスをしていた。
それによると、まず市役所と日本年金機構に電話するようにとのことである。
それから、対銀行の接し方ノウハウ。
うちは、全然財産なんかないけれど、それでも口座を凍結されたら困る。
「50万円ずつ下ろして、最後は端数を振り込んでジャストにするといいです」と、葬儀屋は悪知恵?をくれた。
そうだよね。
母はまえに、「死んだあとも、そのままカードで引き出せばいいやん」なんて呑気なことを言っていたが、銀行だってバカじゃないんだから、そんなやり方じゃ、そのうち不自然な入出金に気づくよね。

そのあと、母はどたどたといつもの大きな足音で、なにやら動いているなと思ったら、一人で仏壇を移動させようとしているのだった。
いまある場所だと、父の祭壇が中途半端な位置に置かれたままになってしまうのだ。
わたしは、スマホゲームをしながらボケーっとしていたが、呼ばれて仏壇の移動を手伝った。
それは、葬式の大きさに反して、とても古くて軽いものだった。
だが、じつはこの仏壇に、わたしは「父が苦しまないようにしてください」とお祈りしていたのだ。
ちゃんと叶ったので、さすがはご先祖さまと感心している。

母は、仏壇を移動したのちも、ばたばたと家じゅうを歩き回っている。
もともと、よく動く人だが、いまはじっとしていると淋しいのかもしれないな。
しかし、わたしはなんだか、痛ましい人を見ているのがしんどくて、ゲームで架空の世界に入り込んでいる。
わたしの精神状態も、ふつうじゃないし健全とはいえないな。
ひと段落ついたら、自然のあるところでのんびりしたいと思う。


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突然の親戚来訪

hikouki

今日の昼過ぎ、突然、母が一階で奇声を上げたので、思わず見に行ったら、なにやらいきなりの客人が来られたようだった。
なんと、田舎から来た遠縁の親戚二人である。

一人は、母方の叔父で、もう一人はその息子だったが、息子の方はわたしは知っていた。
はるか昔、わたしが高校時代に、その人は大阪の大学に在学中、一時的にうちの家で寝泊まりしていたことがあるのだ。

わたしは、お通夜・葬式のときと同じく、お茶くみ係となって、大分の田舎のことや最近の親戚づきあいなどを聞いた。
その親戚は、その地域のちょっとした実力者のようで、一等地に広大な土地と家屋を持っているとのことだった。
「こんなに(家が)あっても困る」と一族で言い合っているということで、わたしは、自分とは住む世界が違う・・・と思ってしまった。
最近、自分の乏しい財産のことを考えていたので、この人はいくら持っているんだろうなどと、ゲスなことを考える。

二人は、二時間ほどお茶を飲むと、あっさりと帰っていった。
わたしと母は、とても恐縮して、帰りは飛行機ですか新幹線ですかと、ペコペコしていた。
この寒いのに、何時間もかけてほんとうに申し訳ない・・・。
もし、不在だったらどうなっていたんだろう。
旅慣れた人たちだったけど、さすがに家のなかに入れないんじゃどうしようもない。

母は、恐縮しながらも、とても喜んでいた。
父のことを心から思っているのは、わたしじゃなくて母だな。
わたしは、いまだに父のことを、「あれ? いない」くらいにしか感じていない。
そのうち、悲しさが出てくるんだろうか。
それも、ちょっと嫌だな。

父の死から8日目、まだまだ残務処理は続く。
明日は、市役所・日本年金機構への電話相談・その他だ。
ほとんどは母がやるけれど、わたしも無関心ではいられない。
母は、自分の遺族年金の額にドキドキハラハラしている。
こんなふうにして、なんとなく母との二人生活は、スタートしていくのかなと思う。


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外出がしたい。

yakiniku

母に、「最近、外食してないな」とつぶやいたら、彼女は警戒するように「そんなまだ」と言った。
喪中に外食したら、不謹慎なんだろうか。
まあ、彼女にとっては外出は一大イベントだから、そういうのはいまは控えた方がいい、という考えなのかもしれないが、わたしはふつうに外出したいので、この閉塞感は疲れる。

「日本年金機構に行くとき、なんか食べればいいやん」と彼女が再び言うので、わたしは焼肉とは言わずに、「牛丼が食べたいねん」と言ってみた。
これも事実である。
だが、クリニックの近くに牛丼屋はない。
焼肉屋はあるけれど、そこはおじさんばかりで、一目を気にする女性にとっては辛い。

それに、ほんとうを言うと、なにも必ずしも焼肉を食べたいわけじゃないのだ。
誰かとワイワイやりたいだけなのである。
先日、大学陸上部同期の集まりがあったのだが、その日は父の命日となってしまった。
元彼Sちゃんは、あっちもお父さんを亡くして疎遠になっている。
わたしの周囲に話せる相手がいない・・・。

たぶんこれは、どんなに辛いことがあっても、それを共有してくれる人がいないということである。
この時代、同じ境遇にある人はたくさんいると思うけど、わたしの周囲にいる人たちは健全な人間関係を築いているので、どうしても辛さが倍増する。
フェイスブックを見ていると、みんなとわたしの差に落ち込んでしまう。
共働きで家族4人と猫、しょっちゅうオシャレな店に出かけている人、マラソン・登山・サイクリングと趣味を楽しんでいる人、おそらく彼らの心は間違いなく、わたしより豊かだと思う。

父の看病で疲れたのか、心の栄養が切れたのかわからないが、とにかくわたしが気分転換を求めているのは事実だろう。
問題は、どうやってそれをするかだ。
寒空を見上げて、「面倒くさいな・・・」とも思う。
なんとなく、クリスマスの飾られた街を見ると、心が余計沈みそうな気がするし。


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母との別居を考える。


話が、急展開したのである。
昨日母が、自動車の名義変更をするからと言って、わたしにサインを求めてきたのだが、実際車に乗るのは叔父なので、わたしはそれを断った。
すると彼女は、尋常ならぬ怒りようで、「もうあんたには永久に頼まん!」と、書類を机に叩きつけ、
金切り声で猛り狂り、ドアをけたたましく打ちつけて、家中に不満をぶつけたのである。

そして、わたしは思い出した。
彼女はもともと気性が荒く、自分の思う通りにならないと人や物に当たり散らし、そばにいる人間を威圧するのだ。

わたしはべつに、駄々をこねて頼みを断ったのではない。
純粋に、お金が絡む書類にサインしたくなかっただけだ。
とくにこの叔父は、職業柄運転が荒く、今度事故をしたら刑務所入りなので、そんな人に車を貸したくないという気持ちは、誰だって持つだろう。
「大丈夫やから、大丈夫やから」と、ただ繰り返すばかりの母に、わたしは強い猜疑心を持った。
万が一、事故を起こして、事実上車を所持しているのは叔父だということがバレたら、どうするのか。
責任の取れないことをするべきではないと考えるのは、間違ったことではないだるう。

わたしは母の剣幕にいたたまれなくなって、とりあえず5日ぶんの薬を持って、家を出た。
そして自分のマンションで、母とのこれからの生活について深く考え込んだ。
考えても考えても、「無理な気がする」だった。
今回のことで思い出したのだが、いままでは父が防波堤になってくれていたのた。
でも、彼が亡くなったいま、母の理不尽な怒りは、わたしをもろに直撃する。
こんな生活が、10年20年続けられる筈がない。
実家を出るときが、来ているのかもしれない。

わたしは、そうなったらどうするかをあれこれ考えた。
やっぱり作業所勤めはしなきゃいけないだろうな。
来る日も来る日も、時給800円そこらか。
こう言ったらなんだけど、知的障害者と一緒なのは辛いだろうな。
病状によっては続くかどうかわからないし、どこまでも未知数だ。

仕事ができなければ、数年後にマンションを売って、安い公団にでも住むか。
それが、いまのわたしの身の丈に合っているような気がする。
家はボロでも心は錦。
いまのわたしは、財産保持や将来の母の介護に怯えて、ちっとも自分を楽しめていない。

まずは、インターネットの移動や、必要なものをどうやってマンションに運ぶかなどを、ちょっとだけ考えた。
実家には、愛猫や、陽のあたる気持ちのいい部屋があるので、ほんとうに名残惜しい。
でも、あの母親の支配欲の傘の下で、じっと耐えているのはたぶん無理だろう。
うまく折り合いをつけてやろうとしていたのに、残念な結果になりそうだと思う。



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寒気のする話


昨日わたしはマンションで、今後について深く深く考えていた。
母と別々に暮らすのは、経済的にとても怖い。
しかし、父が亡くなったあとの、過去から甦った横暴な母は、恐ろしくて一緒に住めない。

しかしわたしが心配するのは、いまのマンションの維持なのだ。
このマンションはわたしの持ち家だが、病気になってからローンが払えなくなり、父が肩代わりしてくれた。
一度、売ろうかどうしようか話していた時、父は「あれは、絶対売っちゃーならん」と断言した。
「お金に変えたら、あっという間になくなる」とも。
彼はそういうところは正しいので、わたしは素直に従った。
そしていまも、その言葉を守りたいと思っている。
だが、たった一人でそれができるのだろうか。

わたしはいろいろ考えた末、いま一人暮らしている病気仲間のI(♀)ちゃんを思い出した。
彼女は、作業所Aで勤めているのである。
わたしもどうしようか悩んでいるところだったが、とりあえず、近況も含めてメールしてみた。
だが、そこでちょっと怖い話を聞いてしまったのである。

Iちゃんはまず、作業所というところは、知的障害者が揉め事を起こしたり、協調性のない人が指導員の手を煩わせたり、いろいろ面倒があるよと言った。
それだけでも怖いのに、彼女は、「友達みたいに、自分も精神病院に入院して、そこで死にたい」と言うのである。
私はとっさに、現在の生活保護の15%が、精神病院の入院患者であることを思い出した。
それを読んだとき、なんでそんなに多いの? と驚いたのだが、もしかして生活保護の精神障害者が最後の楽園である精神病院に集結している・・・?

確かに、精神病院は楽なのだ。
寝ていてもいいし、ウロウロしてもいいし、開放なら外出も自由である。
話しかける人は、適当にいる。
洗濯以外のすべての用事は、病院スタッフがやってくれるし、空調は快適だし、上膳据え膳で、医療も100%診てくれるという、いまの時代では、破格の待遇なのだ。
Iちゃんにとっては、「病院なら、孤独死しなくても済む」というのが、重要事項のようだった。
でもこれがもし、ほんとうに社会現象として起こっているなら、由々しき問題だと思う。
自ら、精神病院に住みたいだなんて、一昔前なら信じられない。

ひとしきり、Iちゃんとメールのやり取りをしたあと、わたしはなんだか、より心が沈んでしまった。
なんだか、Iちゃんが遠くなった。
いままでは、ふつうに生活保護を受けて、つましく生きている人だったのに、いまは精神病院に住んで一生を終えたいなんて、言っていることがおかしすぎる。
たぶん、自分がおかしいことを言っていることに気づいていない。
わたしの勘では、おそらく周りがみんなそういう人間なんじゃないかな。
わたしは、精神障害者同士集まりすぎるのも、問題があるなと思った。
すごく語弊がある言い方だけれど、作業所の話といい、精神病院の話といい、「掃き溜め」という言葉が浮かんだ。
そしてわたしが、その近い場所にいることに、強烈な寒気を覚えた。

これから、どうやって生きていけばいいのだろう。
自殺はしないと決めているわたしは、病気・障害を背負いながらも、なんとかしなくてはならない。
たぶんいまは、人生でも一番きついときだと思う。
もうしばらく、ひっくり返って、何もかも放棄したい気さえする。


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母の狂気


昨日も、オッドマンチェアに座って、深く深く考えこんだ。
結局わたしは、マンションを死守したいのだ。
それにはどうすればいいのか、考え抜いた。

そして、一筋の光が見えたのである。
名義変更だ。
ただ調べると、その贈与税は、おそらく母には支払えないであろう額だった。
なにしろ、いま住んでいる実家は、空き家物件になりそうな代物で、お金にならないのである。

そこでわたしは、マンションの名義を裕福な妹に変え、そこに母が住んだらいいと思った。
わたしの障害年金が途絶え、生活保護が必要となったことを考えたプランである。
母にとっては、いまの家では、じきに買い物もできなくなるので、むしろそうすることが望ましい。
そして母が亡くなれば、妹はマンションを手に入れることができる。
母は、あこがれの超便利なマンションで余生を過ごすこととなり、わたしは生活保護を受給して、身の丈にあった生活をする。

こうすれば、一家としてマンションを他人に手放すことはなく、死守したこと言えるのではないか と思った。
そこで今朝、そろそろ怒りもおさまっているだろう母に電話したのだが、なんと母は驚いたことに、まだ怒りを納めていなかっだった。

「いまはまだ忙しいから!」「自動車保険のあれ、あんたがいいとおりやっといたからなっ」
電話口から、ブルブルと怒りが伝わってきて、わたしは思わずゾクッとした。
怖い・・・!
いったいこの人、どういう人?

つくづく、この鬼のような母を制御していたのは、亡き父だったのだと痛感した。
わたしはこの人と、これからずっと付き合っていけるのだろうか。
妹とは決裂しているし、相談はできない。
なんだか、海の中に浮いてるようなゾクゾク感がある。

わたしは、先の事ばかり考えていて、もし障害年金が落ちたらどうしようとクヨクヨしていたが、そのときはそのときで母をあてにせず、諦めるしかないと思った。
だが、マンションは死守しなさいと言った亡き父の言葉が、とても引っかかる。
いま父に、「お金がないねん。どうしたらいい?」と聞いたら、彼は間違いなく「お母さんに聞きなさい」と言うと思う。
でも、そのお母さんが、猛り狂っているその姿を、父は知っていただろうか。
この鬼の形相は、おそらく父の前では出さなかったのだ。

実は、いまも動揺している。
夫が死んだら、鬱になる人は知っているけれど、あんなふうに叫び散らす人なんて、聞いたことがない。
何か異常なものを、垣間見ているような気がする。
とても怖くて仕方がない。


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マンション暮らしと猫

kuroneko

昨日は、ほんとうに久しぶりに、一人で料理したのだが、あまりにもできないので、真っ青になった。
材料を前にして、なにをすればいいのかわからない、次はなにを出すのかわからない、考えているとボーっとしてきて、次第に身体がフラフラして、ああ駄目だ~しんどい~、となって、結局2品作るつもりが1品になってしまった。
こんな状態で、どうしよう!!
ほかの家事は、絶対手が回らない!!

わたしは、いや、どうしようでは済まないと思い、敗因を検証した。
なぜあんなにやりにくかったのかって・・・、そうだ、キッチンが実家と左右逆で、左利き用なのだ。
あと、雪平鍋がなかったのと、ザルもどこにあるかわからなかった。
要するに、道具に問題があったよね。・・・

わたしは、オッドマンチェアに座り、一息ついて、やれやれと思った。
これから、慣れていかなければいけないことが、いっぱいある。
母と暮らしていたら物理的には楽だけど、父が亡くなったとたん再発した、彼女のひどい癇癪に付き合わされるのはごめんだ。
それに、一緒に暮らしていたら、いまはわたしの方が支えてもらっているけど、いつの間にかわたしが支えることになっていて、二人で苦しむのではないかという恐怖がある。
マンションに住んだら将来のお金がなくなると悩んでいたが、ここは決断して、マンションに住んで介護を捨てよう。
介護は、たまに見に行くくらい、という形にしておかなければ、わたしが潰れる。

そんなふうに、考えがまとまったところに、母からメールが来た。
そこには、「猫が、みんなを探してウロウロしている」と書いてあった。
わたしは、えー! とショックを受けた。
父とわたしが両方いなくなって、淋しがっているんだ!!
いますぐにでも、飛んでいってあげたい!!

そこでわたしは今日、通院のあと、実家へ行って猫と母とご対面をした。
猫は犬と違って、あんまり大袈裟に喜ばなかったが、母は言葉の端々に、「帰ってこないかなあ」という雰囲気を滲ませていた。
気の強い人だが、さすがに父とわたしが同時にいなくなって、落ち込んでいるのかもしれない。
でも、そこは慣れてもらうしかない・・・。
わたしは、猫に会ってやる必要もあるし、週一日くらいは実家を訪れた方がいいなと思った。

そんなわけで、わたしの環境はいま、激変中である。
毎日を平穏に暮らしたいと思っているわたしなので、早く腰を落ち着かせたい。
なにより、気持ちを安定させたい。
いろんなことが終わって、やれやれと肩の力を抜いて、ゆっくりしたいものだ。


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実家の母とわたし


昨日は、実家へ一泊した。
すると、いままでの母とわたしの力関係が、ガラッと変わって見えるのである。

いままでは、母が一軒家の主で、わたしは単なる居候だった。
しかし別居してみると、わたしは、隠居している母の元に、時々やってくるお客さんになったのである。

母は、自分のことばかり一方的に話すのではなく、わたしの話も聞いてくれた。
そしていままでの、養ってやっているのだという、なんとなく横柄な態度が消えたように思われた。
わたしはそれで、昔のように、わたし一人で生きていく気楽さのようなものを思い出した。
いい感じだ。

そしてこれで将来、母の介護にべったりつかなければないならないのではないかという恐怖がなくなった。
しかしちょっと気になったのだが、わたしがマンションで一人暮らしすると宣言したあと、母は急に、自分の年金額・貯金額を明かし始めたのである。
そして、自分はいざとなったら、なんとかその辺の老人ホームに入って、死ぬまで貯金でなんとかできるのだと、介護の不安に怯えていたわたしに、今頃になって言った。
いままでそれを言わなかったのは、なぜだろう。
もしかしたらやはり、わたしに面倒を見てもらいたかったということなのかな。

わたしの方も、1ヶ月ぶんの生活費を見直すことで、貯金が尽きる時期が、予想していたよりもかなり遅くなるのではないかという見通しがついた。
それに忘れていたが、このままいけば65歳から、企業年金が出るのである。
たぶんその頃には、世の中も変わって、制度も違ったものになっているだろう。
いま、ちまちま計算して、マンションを維持できるかどうかを考えても仕方がない。

母は、生姜湯を飲みながら、「〇〇さんのいる創価学会の会館にこの前行ったけど、昔とは全然違うんやなあ」と言った。
「昔はなんや、ボロボロで、貧乏人ばっかりが集まるとこって感じやったけど、いまはピカピカでビックリしたわ」
「いまは全然違うで。弁護士とか代議士がおんねんで」
「若い人もいっぱいおってな。よう話しかけてくれるし、ああいうところで、お茶飲みにでも行こうかな」
「ええやん。いきーや。そこで友だち作ったらえーやん」
宗教というのは、こういうふうにはまっていくのかもしれないが、別に新興宗教でないし、わたしは友だち作りでもいいのではないかと思った。
なんだかんだ言って母は、たった一人で生活したことがないのだ。

ひとしきり母と猫と話したと、わたしはさしあたっての服とか鍋を袋に詰めて、マンションに帰った。
契約したスペースの自転車置き場に自転車を停めると、じんわりと、ここがわたしの住み処なんだと思えた。
何年間になるかわからないけど、ここで人生を歩んでいこう。
人生の何度目かの新しいステージだ。

それから、おとといの残り物を食べて夕食とし、オッドマンチェアに沈みこんで、「スパイダーマン」を観た。
こういう番組は、実家じゃ見られなかったんだよな。
つまんない地上波で、ギャーギャー騒ぐ番組ばかり。
映画だったら、テレビ嫌いなわたしでも見ていられる。

それから眠剤を飲んで、すぐにベッドに入り、一日を終えた。
わたしは早寝早起きなのだ。
規則正しい生活なら、わりと自信がある。
あとは、昔の勘を取り戻すことだな。
服が身体に馴染むように、昔の生活がわたしにゆっくりと馴染んでくるのを待とうと思う。


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日常生活のリハビリ


なんだか1日が、あっという間に過ぎた日だった。
朝食にアイスクリームを食べ、昼食はトースト、昼からは、100円ショップで雑多な物を買い、スーパーで買い物を済ませて、夕食には白菜シーチキンを作って、それまでの残り物と一緒に食べた。
わりと満足する。

それにしても食費って、自分で作ったら、ものすごく安くなるものだなあ。
この日一日の食費を計算してみたら、5・600円ぐらいじゃないのって感じだった。
白菜が78円で、シーチキンが一缶160円くらい。
わたしはこれを三日で食べるので、一日80円。
他のものも、最高200円で抑えられると思うので、夕食は全部で300円でいけるんじゃないかな。
朝のアイスクリームは100円、昼のトーストは一枚20円×2、+野菜ジュース90円で、合計230円、一日トータル530円である。
食べるのが好きな人にとっては、辛い数字だろうなあ。
でもわたしは、食にはあまり興味がないので、栄養さえ取れていれば気にしない。

それから、節約のためにスマホのプランを変えに行ったのだが、そのときポイントが余っていて、もうすぐ使えなくなります、と言われたので、それを10kgの米に変えた。
わあ。主婦みたいだけど、嬉しい。
10kg、いつまでもつかしら・・・。

夕食後はBSで、しょーもない映画を観た。
「流れが悪くなってきたな」「ここは、そうするべきじゃないでしょ」とか、いつものわたしのツッコミを入れながら観た。
こういうのは、母と一緒に住んでいた頃には、まったくできなかったので、気分がいい。
実はわたしは、今まで一緒にテレビを見た人全員に、「あなたとは一緒にテレビを見たくない」と言われているのだが、わたしがリラックスしてテレビを見ると、そういうことになるので、母もきっと嫌に違いないのだ。

それからちょっと、母のことを考えた。
母はいま、淋しがっているだろうが、ここであんまり近寄ると、死ぬまでベタベタされそうな気がする。
母にはこれから、新しい友だちを作ってもらって、違う人生を歩んでほしいのだ。
いままでのように、家族のことばかり見て、そのことだけをやっていればいい日々を送って欲しくないのだ。

わたしもいまは、これから誰と出会って、どんな人生を歩むことになるのかわからない。
こんなことは、考えてどうにかなるものじゃない。
とりあえず、日常生活をうまく快適に過ごせるように、自分自身のリハビリをしていきたいと思う。


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防災に目覚める。


昨日は、なぜだかいきなり防災に目覚めた。
たぶん気がついたら、マンションの中に災害時の食料がなかったからだ。

わたしは、災害時の食料ってどんなのがいいんだと考えた。
乾パンだなんて芸のない・・・、わたしならリッツにするな。
それにしても、主食はどうするのだろう。
同じ理由で、サトウのご飯なんて買う気がしない。

わたしは、「こんなの、カセットコンロで普通に米を煮ればいいんじゃないか」と思った。
炊飯器のない国では、そうしているはず。
しかし実際にやってみて、本当にうまくいくのだろうか。
わたしはおもむろにカセットコンロを取り出し、火をつけようと思った。
しかし、これがつかないのである。
長年、ほったらかしにしていたせいだろうか。
わたしは、チャッカマンかなんかがないのかと探したが、見当たらなかった。
やっとのことで、前に作った防災リュックからライターを見つけたが、これも火がつかなかった。
まったく、長年家を空けていると、すべてのものが使えなくなっている。

仕方がないので、とりあえずガス火で米が炊けるのかどうかテストした。
すると、一合半が10分ほどで炊けた。
最後で蒸らすのが、ポイントである。
「いける、いける」と、わたしは満足した。
しかし普通の人は、ここまでやるんだろうか。
わたしは完璧主義なので、自分の考えていることに、絶対がつかないと気が済まないのである。

それから、おかずについて考えた。
ご飯が炊けるとなれば、カレーでも缶詰でも選択肢が広がる。
おにぎりの素を買っておいて、おにぎりを作るのもいいよね。
ついでに、即席のお味噌汁を置いておいて、ほっこり温まるのもいいな。
なんだ、あとは、飲料水と生活用水を確保すれば、そんなに困ることはないんじゃない?

わたしは、お風呂に一杯の水を貯めた。
うちのマンションは、水道代は管理費に含まれているので、タダといえばタダである。
だから、常にお風呂はこの状態にしていよう。
これで、災害に遭ってもしばらくはもつだろう。
飲料水の方は、すでに数リットル確保してある。
これをもっと増やせば、より安心して災害生活が送れるというものだ。

さて、わたしのプランは、自分の家から出るという発想がひとつもないのだが、これには理由がある。
どっちの大震災だったか忘れたが、災害の関連死は、ほとんどが避難所へ行くまでか、避難所で亡くなったという話がどこかに書いてあったからだ。
避難所のストレスは、相当なものらしい。
わたしは母にも、家が壊れていないなら、避難所へは行くなと言っている。

昔の災害グッズを掘り起こしてみたら、ほとんどがいまはもう使えなくなっていたので、また作り直さなければならない。
ちょっとお金がかかるが、完全に必要経費だろう。
何年かぶりでマンションに帰ってきたが、これからもいろいろ必要なことが出てくると思う。
部屋を見渡してゆっくり考えながら、思い出していこうと思う。


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生活に疲れる。


昨日の夕食は、豆腐が余っていたので、麻婆豆腐にした。
わたしは、麻婆豆腐が好きである。

実家を出てから半月ぐらい経つが、生活はなかなか快適である。
静かっていいなあ。
うちの母はおしゃべりで、いつもわあわあ騒がしいので、ほんとうにうんざりしていたのである。

それだけならば、実家を出る理由にはならなかったが、小さい頃から続いた、理由もないのに叫び声をあげて怒るという性癖が、父の死後出てきたから困る。
あれだけは、どうしても我慢できない。
一緒に住んでいたら地獄だ。
昔は、妹と二人で叱られていたが、いまはわたし一人で受け止めなければいけない。
これから体が弱って、口ばっかり達者になるんだろうから、到底付き合いかねる。

それでも、年末年始は実家へ戻って、猫とともに過ごすつもりである。
いつも休日なんだから、年末も年始も関係ないんだけどね。
ただ、あんまり急に離れていくのも、あとあとのために良くないと思うので、そこそこの距離は保たなければならないと思う。

わたしはいまは、あまり将来のことは考えていない。
このマンションで、いつまで暮らせるかなあとたまに考えるが、まあかなり先まで行けるだろうと、ちょっと心が落ち着いている。
年金のこととか、つまらないことばかり考えているのは、きっとわたしが暇だからだ。
H主治医も、そう言っていた。

マンションにいるときは、BSを見たり、スマホゲーム「動物の森・ポケットキャンプ」をしたりしている。
父の死からこっち、ドタバタといろんなことが変わったので、いまは慌てて動かない方がいいと思っている。
とりあえずは、いまの一人暮らし生活を、安定させることかな。
働いていた頃の勘を、家事を中心に取り戻さなければならない。

とはいえ、いま生活がやっとのわたしだが、人と会ったり、どこかへ行ったり、何か楽しみがないとしんどいなとも思う。
前から思っているけれど、どこか自然のある所へ行きたい。
少し早いけど、梅が咲いたら、大阪城公園にでも行こうかな。
母にも生活にも疲れて、ちょっとぼーっとしたいんだよね。
ほんとうに、この数ヶ月間は大変だった。
しばらくゆっくりして、暖かい春が来るのを待つことにしたい。



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年末に思うこと


今日は、年末ということで、スーパーで母と買い物をしたあと、実家へ戻るはずだったのだが、母が風邪をひいたということで、予定が明日に変わった。
なんとなく、寿命が一日延びたという感じで、ほっとする。

母とは、小さい頃から性格が合わなかったので、大人になったいまでも、いわゆるスープの冷めない距離にいるのがいい。
実は冷めてもいいんだけど、向こうも高齢なので、あまりに遠くへ行くと、なんとなく良心が咎める。

とりあえず、予定が変わってしまったことで、わたしは、食べ物を、昨日すべて整理整頓してしまったことを思い出した。
そこで、すぐそばのスーパーに入って、カキフライだのキャベツだの食パンだのを買った。
それにしても、野菜が高い。
スーパーは、高齢者で混雑していた。
お正月なんだなぁと感じるが、いまいち実感として湧いてこない。

帰宅してから、一人の部屋に満足して、わたしは椅子にどっかりと座った。
自分で生計を立てることは、日常生活の充実感につながる。
これがないと、いつまでたっても、自立した気がしない。
たとえ障害者で、日常生活が困難であってもだ。
たぶんできる限り、住まいを確保して、ヘルパーを調達して、自分で生活をするのが望ましいんだろうな。
そういうことを、したい人もしたくない人も両方いると思うけど。

それから、数日前に連絡した病気仲間のI(♀)ちゃんから、またメールが来ていたことを思い出した。
作業所のことを教えてもらおうと思ったのだが、いつのまにか話が、生活保護のことになり、そしてまた今度は、わたしの生活保護への道を教えてくれるという話になっている。
しかし困ったことに、わたしはまだまだ、生活保護という経済状態ではないのだ。
Iちゃんに、ちゃんと説明しなかったのが悪いのだが、Iちゃんはもう、わたしがかなり切羽詰まっていると思っていて、「家を売るならいまのうち」と言っている。
しかし当たり前だが、不動産はそう気安く売れるものではなく、どう返事したらいいものか迷っている。

そんなこんなで、実家にいたときよりも、ずっと早く一日が過ぎていき、わたしはマンションのドアを見ながら、この先ここで、どんな経験をしていくのかなと思った。
そして、父親のことを少し考えた。
いまでも、いなくなったことが、よくわからないけど、いい人だったなと思う。
7年前、このマンションで、わたしが激躁状態で、訳が分からなくなっているとき、父は「いま、小学五年生ぐらいやな」と言い当てたので、びっくりした。
あのときなぜか、子どもがえりしていたんだよね。
なぜわかったのかなと思う。

スーパーからの帰り道、わたしは、桜の木を見て思った。
あと何年、この桜を見ていられるのかな。
わたしは、おばあさんになっているよな。
先のことなんてわからない、そう言いながらも、わたしはまだ、遠い遠い先のことを考えている。


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いろいろあった今年

mikan

昨日、自宅マンションから、実家へ帰ってきたのである。
有難いことに、母は風邪をひいており、いつもの半分くらいのパワーしかなかった。
キンキン声でしゃべられなくて済むので、楽である。

そうして、夜はおでんを食べた。
年末年始は、特別なものを食べず、雑煮以外はふつうにする予定である。
「そば、いつ食べる?」とわたしが聞いたら、母は「明日の昼、食べよう」と言った。
そばは、平常でも食べているから、これは年末行事とは言い難い。

熱でぼーっとしている母は、こたつに入りながら、「お父さんもあんたも一気におれへんようになって、淋しくなったわ」と言った。
でもその声は、もうすっかり諦めたという雰囲気を帯びていた。
この人は、根が強くて堂々としているから、ここで余計な同情は必要ないのである。

わたしは、「人一人が消えるって、不思議やなあ」と言った。
その言葉を、母はまともに受けなかった。
まあそうだろうな。
わたしは、型通り「お父さん、いなくなって淋しいわ・・・」とは言わないのである。

しかし、父の遺影を見ていると、ほんとうに不思議な感じがしてくる。
夏には、ちゃんと歩いて話していたのに。
あの人が、消えていなくなったなんて、ほんとかなあ。
死って、その人にとってはそれは重大なことだけど、ほかから見れば、簡単なことなのかもしれないな。

今年は、ものすごくいろんなことがあった。
秋に、ダイエットと酒と精神薬の合わせ技で死にそうになり、それがきっかけで、16年ぶりくらいに身体が10kgくらい軽くなり、そのため自転車が乗れるようになったり、お風呂に入れるようになったり、不思議なことが起こった。
そして父が亡くなり、わたしは7年ぶりに、実家から自分のマンションへ居を移した。

来年もまた、いろんなことが起きそうな気がする。
久しぶりのマンション生活のスタート、久しぶりの一人暮らし。
経済的な不安は残るけど、本来の自分の生活を楽しみたいな。
家計簿をつけて、収支を見合わせて、ここを削ろうとかいろいろ工夫して生きよう。
そういうのは、もともと割と好きなのである。

そして、今年の始めは母と一緒に過ごす。
いつものんびりしているけど、ことさらのんびり、お雑煮を食べて過ごそうと思う。



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プロフィール

由巳ゆみ.

Author:由巳ゆみ.

2000年うつ病、解離性障害と診断される。
2010年うつ病から躁うつ病と診断名が変わる。
現在は一人で闘病生活を送っている。
◆LIFE,LOVE&ごはん
  (ダイエットブログ)

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