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狂人を連れ遊ぶ。



昨日、友人づくりについて考えていたら、大学陸上部のHを思い出し、同窓会にかこつけてラインをしてみた。
しかし、話の中途半端なところで、簡単にスタンプを押されてしまった。
楽天家の友だちYあたりなら、家事じゃないの? と言いそうだが、なんだかいまのわたしは、こういうのはめげる。

それで、発症当初から10数年間、なぜかイヤイヤ友人関係を続けてくれていた、高校陸上部の独身3人組を思い出してしまった。
あのときも、なんか避けられている感じ・・・、自分がゲストになっているような感じがしたんだよね。
それで、先日からマイブームの、アインシュタインの言葉に従って、「解決できない問題は、考え方を変える」を実践して、この問題を再考してみた。
なぜ彼女らは、わたしによそよそしかったのか。
彼女らとの付き合いは、高校からだから、発症当時、相当長かった。
わたしが急に、歩けないヨロヨロのお化けになり、その後、中学生の女の子に変身し、おかしなことをし始めたとき、彼女らがまえのわたしと違うことに気づかないはずがないのだ。

あの当時、中学生の交代人格が、一瞬引っ込んだときだと思うが、彼女らはマンションで、「あんたはいま、中学生になってるねん。わかるか?!」と真剣な目で迫っていた。
わたしは分からなくて、きょとんとしていた。
その直後、また中学生に戻ったらしく、その後の記憶はわたしにはない。
でも、もしかしたらあのとき、わたしは彼女らに、決定的な絶望を与えるような行動をしたのではないだろうか。
たとえば、「完全に狂っている!」と思わせるようなことだ。

それで、もしかしたら、親友だった彼女らは、悲観にくれたかもしれない。
「もう一緒にはいられないね」「どうする?」「せめてたまには、お見舞いに行ってあげようよ」、そんな感じ。

でも、自分が狂っていることを知らないわたしは、彼女らが自分を、なぜゲストとして扱うのかがわからない。
「病気になった途端、わたしを避けて、自分たちだけで遊ぶようになった」と思うようになる。
避けられていることの嫌な感じ。
これがだんだん溜まっていき、やがて怒りの塊となり、それを彼女らに向けて爆発させる。

その後の彼女らは、もしかしたら仲間内で、こんな事を言っていたかもしれない。
「実はゆみは、最初の入院直後から、言うことなすこと前とは違ってて、もう別人になっててん。可哀想やから、うちらはたまにお見舞いとか行ってあげてたけど、今回だけはまったく意味わからん。助けてあげたかったけど、もう無理やわ」

うーむ。
いままで、こんな風に考えたことはなかったけれど、なんとなくこのお見舞い説は、仲間思いだった彼女らがやりそうなことで、いままでの仲間外れ説は間違っていたかもしれない。
だからといって、怒りを爆発させずに、あのまま 続けられたかというと、そうではない。
3人のうち1人が、明らかにわたしを嫌い、無視していた。
理由はわからないが、そういう人が1人いるなら、いずれ3人とも、わたしのお見舞いを止めただろう。
いいのか悪いのかわからないが、最後に怒りをドカンとぶつけてサッパリして、わたしとしてはよかったのかもしれない。

この過去があるため、わたしは自分が避けられるということに対し、ちょっとしたアレルギーがある。
でも今後、友だち作りをするにあたり、「簡単にスタンプ押された」などと、悩んでいては始まらない。
今回考察した3人組も、わたしのいままでの思い違いの可能性が高いと思えるから、人付き合いにおいて、「避けられた」なんて勝手に思い込まないことが大事だな。
友だち付き合いなんて、気楽にいかなきゃだよね、ほんとに。
由巳ゆみ.
Posted by由巳ゆみ.

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