LIFE,LOVE&PAIN

タイトルは Club Nouveau の80`sのアルバム名。人生っていろいろあるよね。
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双極性障害の軽率さ

banana_hiyoko

一昨日は、父のお見舞いに妹が来るというので、妹と犬猿の仲のわたしは、自分のマンションに行っていた。
そして昨日、実家に帰ってきて、とんでもないことを聞いたのである。

「ゆきさん(妹)、ほとんどお父さんと話してないねん」
「えっ、なんで??」
「お父さんが眠ってたこともあるけどな、あの子、ずっとスマホ見てたから」

スマホ?!?
父親が生死をさまよっているときに、自分は話しかけもせずにスマホ?!?
なんだそれ・・・。
事の重大さがわかっていない。
これは、知らずに一生後悔するようなことをするという、双極性障害の症状?!

「それでな、わたしがなんか言うたら、すぐ怒るねん」
「・・・躁やな」
「なんか、雰囲気、違ってたわ。このまえ来たときはよかったのに」

まったく、双極性障害というやつは、その人の人格がころころ変わったかのように見えるから、難儀だ。
本人は、気づいていないことが多いんだけど・・・。
わたしが言うところの、「双極性障害の解脱」をしない限り、この改善はみられないと思う。
つまり、自分は人から気分屋に見られるから、急に腹が立ったときも、浮かれているときも、感情をあらわにするな、ということである。

「ゆきさんは、まだ、自分がキチガイになったって気づいてないのかな?」
「キチガイなんて」
「でも、昔の座敷牢にいる人って、双極性障害やろ。大声で暴れてたと思ったら、今度は廃人になって。まったく、わたしとおんなじやん」
母は、黙り込んでしまった。
症状がひどかった頃、わたしは家の中で、暴言・破壊の限りを尽くしたので、家族としては、狂人と一緒に座敷牢にいるような形になり、ひとときも気が休まらない日々を過ごすことになったのだった。
昔と同じく、現代でも、こういう事実は家族が隠すから、世間にあまり知られていない。
わたしは、双極性障害は、古くから言われている「狂人」だと思っているから、薬と自分のコントロールが、自分には大事だと思っている。

それにしても、同じ双極性障害の患者でも、妹には腹が立つわ。
軽薄人間になるのも躁の特徴だが、死の病床にある父を放っておいて、スマホを見ているって、いかにも躁エピソードで軽蔑に値する。
どこかにも書いてあったけど、こうした双極性障害の患者の軽薄な言動は、許さなくていいと思う。
どうせ、一緒にいたって、繰り返し腹が立つだけなんだから。
自分の病気は、人の目を疑わせるんだってことに気づいていない、初・中期の双極性障害の患者は、もう放っておいていいとわたしは思う。

そういうわけで、誰もが呆れる軽薄人間の妹を、わたしは咎めるのではなく、どこまでも無視である。
そのまま放置していても、やがて、躁の患者はテンションが落ちてきて、自分がしてしまったことの重大さに気づく。
そしで、一生大事なものを失い続ける。
たぶん、彼女もそうなるんじゃないかなと思うけど、この病気を持ってしまった人の宿命なんだよね。
だからといって同情なんかしても、患者本人が気づかない限り、どうしようもないんだよね。

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