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LIFE,LOVE&PAIN

双極性障害・解離性障害をもつ女性の日記。人生っていろいろあるよね。

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2017-12-04 (Mon)  09:18

死への恐怖

koumori

昨日は、父が麻薬で、あちこちを彷徨っているところに付き合っていた。
どうやら数秒おきに、ぱあっと夢が現れたり、現実に戻ったりしているようだ。
現実に戻ったとき、なにかを訴えていることが多い。
それがなんなのか、察知するのが難しい。

身体全体をもぞもぞさせているので、なんだろう? と思ったら「暑い」だった。
さらに、まだ足をもぞもぞさせているので、「これにも何か意味があるの?」と尋ねたら、今度は「足を伸ばしてほしい」だった。
こんなに身体が動かせないなんて、しんどすぎる・・・。
もうこっちが、じっと全身を見渡して、想像するしかない。

今朝、父と一緒の部屋に寝ている母が、「昨日の晩、ずっと唸ってるから何かと思えば、身体を動かしてほしかったみたいよ」と言った。
わたしは、寝がえりが自分でできなくなれば、セオリーに従って、2時間おきの体位変換をするしかないと思った。
こんなの、要介護老人に対して毎日やっていたら大変だけど、父はもってあと数日なのだ。

父は、しきりに母を呼び、恐怖から逃れようとしているようだ。
わたしの前でも、パニックになっていたことがあった。
わたしは、緩和ケアっていう名前には落とし穴があると思った。
痛みや苦しみが軽減されたぶん、毎日、死刑台への宣告を待つ死刑囚となってしまうのだ。
父自身は、緩和ケアに大きな期待を持っていたが、こんなことになるなんて予想もしていなかったはずだ。
だからといって、身体的な苦しみの方がいいとも思えないので、あのときはこの選択しかなかったのだ。

父の最期のあがきを見ていて、わたしは死ぬ間際の人間は、正直見苦しいものだと思った。
放送大学で、「死の学問」みたいなのを見たのだが、人間は死の間際、「受容」の段階に入らないと、見苦しい死に方をします、と淡々と専門家が語っていた。
すごいことを言うなと思ったが、きっと死に際は人それぞれで、ギャーギャー騒ぎ立てる人も怒る人も静かな人も、さまざまなのだろう。
わたしはどうなんだろうな、とつい考えてしまう。
でも、平静に死ぬにには、たぶん宗教や教養が必要なんじゃないかなと思う。

父は今日、お風呂の日なのだが、母がそのことを伝えると、嬉しそうにしていたという。
一日一日、ささやかな楽しみがあれば、恐怖から逃れやすくなるのかなと思う。
明日はうまくいけば、妹がうちに来る。
そのことを楽しみに、今晩も楽に眠れたらいいと思う。

最終更新日 : 2017-12-31