LIFE,LOVE&PAIN

タイトルは Club Nouveau の80`sのアルバム名。人生っていろいろあるよね。
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幕引きのとき


瀕死の父の唸り声から逃れて、自分のマンションに辿り着いたわたしは、スマホゲーム「どうぶつの森・ポケットキャンプ」をやりながら、死の体験というものについて、ずっと考えていた。
死・・・、死ぬときの感じって、どんなだろう?

父みたいに、死にたくないと言って、わあわめ土壇場でわめく人は、もしかしたら死の覚悟ができていなかったのかもしれない。
彼は写真などの整理をして、過去の精算はしていたが、先のことを考えていたかどうかは怪しい。
その証拠に、かなりあとになってからも、最新医療センターへの執着があった。
また、寝たきりになってからも、「俺はこれからどうなるんや?」と、死生観を、まるで持ち合わせていないかのようだった。

もしかしたら、死ぬとわかったら、いろんな書物を読み、あらゆる人の生きざま・死に方、哲学、宗教などを取り入れ、自分なりの方向を決めることが必要なのかもしれないな。
看護師さんは、「ドラマのように『さよなら』とか言って死ぬ人は、絶対いないですよ」と言っていたから、なにをしようが簡単ではないんだろうけれど、何の勉強もなしに、手ぶらで死という恐怖に突入したら、誰でもパニックになるだろう。
わたしはこれを機会に、これからでも少しずつ、そういったことを考えていこうかなと思っている。
イメージトレーニングは、いまからでも早くない。

さて昨日は、恐る恐る実家に電話し、父の具合を尋ねていたのだが、夜になって、もう意識がないと母が伝えてきた。
わたしは、それを聞いてホッとした。
もうあの、「死にたくない、助けて」の断末魔を聞かなくていいのだ。
母はわたしに、「もう明日ぐらいやと思うわ。あんたはもう、立ち会わん方がええやろ」と言った。
わたしは力なく同意した。

その後、父が亡くなった後のことが頭をよぎったが、意外にも「空気がカラッとするだろうな」と思い浮かんだ。
よく考えたらこの数年間、父の病気が家の中を充満していて、東京オリンピックのことを語るときも、胸がつかえていたんだよね。
いまそのことに気づいて、これから母との生活は、ガラリと世界が一変すると思う。
とうぶんは、母とのパワーバランスに悩まされるだろうけど。
お互い、この人とは話ができないと思っているので、関係保持がとても難しい。

父の介護が始まって約1ヶ月間、そしてこれからお葬式を経て、ようやくこの人生の一大事は終了となる。
忘れもしない1ヶ月間だ。
ただ介護だけは、あとになっても、母親と二人で一生懸命やったと言えると思うんだよね。
そこのところは、ほんとうによかったと思う。

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